風に吹かれるとは
思い込み
あなたはいつもなにかを思い込んでいる。あの人は悪い人だとか、話がどうも合わないとか、そうやって決めつけることで安心しているわけだ。逆に言えばあの人はいい人だと思い込んで、実はそうでもないことを見ようともせず、あなたがそう認定したのだから間違いないと太鼓判を押すだけのことしかしなくなる。よっぽどの乖離がなければずっといい人認定のままにあなたがしている。そしてとうとうそれもできなくなったとき、あなたは裏切られたと言って今度は相当の恨みを持ってしまうわけだ。実のところそんなひどい人もいい人もいないわけで、それぞれが自分のことで手がいっぱいでそれぞれの人生を生きているだけのことだね。それをあなたが評議委員となっていい人、悪い人認定をするもんだから、本来立てなくてもいい波風を自ら起こしていているわけだ。だからあなたのその勝手に思い込むクセをなくせば平穏な世界がそこに現れるわけだ。そう、それが本当の世界と言っても過言ではないだろう。
決めつけ
だからあなたがそうやって、ほんの一部だけを見て決めつけてしまうクセを手放せば、世界はなんてことのないフラットな状態になる。そんな甘い考えではすぐに足元をすくわれてしまうとあなたが思えば、きちんとあなたの思い通りの世界に一変する。世の中捨てたものではないと思えば、そんな世界になるし、裏切られたり憎まれたりすることがあっても、多少そんな軋轢があるのは通常運転だと笑って過ごせるようになる。要するにあなたが今をどう見ているのかで世界は一変するわけだ。ありのまま、そのままと言いつつも誰かに依存しているようでは、それはまやかしに過ぎないね。あなたが世界と対峙するときの基本的な姿勢というか、思考によって大きく異なる原因を考えてみよう。世界なんていうのはあなたが生み出しているわけだし、あなたがそう思えばそうなるのはあなたしかいないといえば言い過ぎだろうか。
生き様
だからあなたが自らの生き様を選ぶことで世界は大転換するのはそういうことだ。どう生きるのかということに関してはこだわりや執着がそこに生まれがちだけれども、基本は自然の流れに沿っていればいいだけのことだね。そこになにかに固執したり、こだわりすぎると流れが滞ってうまくいかなくなるのもそういう理由からだ。だから気分屋でいいし、いい加減でいいし、何も深く考えることもない。思考はこだわりと抵抗を生み出すだけのあまり良くないことを引き起こすことに関わるので上手に操らないといけない。もちろんだからといって、どうでもいいと投げやりになってしまっては、それはあなたを生きているわけではなく、誰かの顔色を伺っている生き方に過ぎなくなってしまうから注意しなければならないね。手放しとかいい加減というと誤解されることが多いのは、その曖昧さがどこから来るかによるわけだ。あくまでもあなたが意図的に大自然の潮流を感じつつそれに合わせるという部分を、どうでもいいと誰かに丸投げするのは大きく異なるわけだね。