すでに幸せ

日々

そんなもの

人生なんてそんなものだといつの間にか思い込んでいる。夢は儚くも消えて、現実という思い通りにならない困難ばかりで日々疲弊している。それでもなんとかしようともがいてみても、結局のところほとんどは徒労に終わる。そしてままならないことばかりを一人抱えて、明日に備えて眠りにつく。そんな毎日の現象の中で、夢を持ちなさいと言われたところで、日々なんとか生活することだけで手一杯な状況ではそれすらも叶わぬ夢となる。理想を高く持ち、気品を忘れず、あなただけの世界を生きていきたいと思ってはいた。しかしながらそれを実践するには、障害が多すぎていつまで経っても先延ばしになっている。そんな中で、やっぱり現実は厳しく、夢は夢のままであり、どうにか合理化してその苦しみさえなんとか弱めることができればという願いが、いつの間にかあなたの夢にすり替わっているわけだ。そしてふと気がつけば人生の折り返しをとうに過ぎて、こんなはずではなかったと呟いている。

諦める

夢は夢のままでいいと開き直ったとき、それまで苦しい毎日が一変することがある。これまでまっすぐに生きようとしたから、必ずしも必要としない衝突を避けられなかったと気づくわけだ。上手に障害物を避けて進むことができれば、これまでの辛さや苦しみを和らげることができるとね。そうやってあなたは静かに身を潜めて生きるようになる。夢とか希望とかそんな浮世離れした話ではなく、眼の前の障害物をスルリとかわすことが一番の重要テーマとなり、それ以外は見て見ぬふりをしてきた。ところが今度は情報社会がそれを許さず、SNSなんかで否が応でも誰かの夢を叶えている姿を見せつけられてしまうわけだ。そんなもの見なければ済む話なんだけれども、見ないようにしようとすればするほど気にしているのと同じこととなってしまうね。キラキラしている誰かの笑顔があなたを脅かすわけだ。だからそのはけ口をまたどこかに探すようになってしまう。

不公平

こうしてなんて不公平で理不尽な社会に生きているんだと憤りを感じると、キラキラしたものへの恨みが募っていくわけだ。そして今度はそれを揶揄することであなたの不満を解消しようとする羽目になる。そんなことしたところで溜飲を下げることなんてそもそもできないというのにね。だからどんどん攻撃することでしか、あなたの思いは満たされなくなってしまう。そもそもあなたの苦労の根源は、そういった比較されることによる格差や烙印を押されてしまう恐怖なんだけれども、それを避けるどころか自ら増幅する方向へ舵を切ってしまっているわけだ。その結果は言うまでもなく、あなた自身を自ら苦しみの縁へと叩き落とすことと同じとなってしまうね。そもそもあなたが嫉妬するほどのキラキラとした生活なんて虚栄であり、仮にその通りだとしても幸せとは限らない。そんな表面的な事象ばかりに目を奪われ、心を揺さぶられているから苦しいわけだ。あなたが今ここにいて、あなたがそんなことにすらうつつを抜かすことができるというカラクリは、おそらく最期に眠りにつくときにその正体が明かされるのかもしれないね。