失敗という学び
失敗と不幸
失敗せずに成功する秘訣とか、今より成功するコツとか、そんな言葉で喧伝しているセミナーなり書籍が街に溢れているね。それが人気になるのは、誰もが失敗に向かい合えないということを同時に示唆しているわけだ。幼い頃に自転車に乗れる練習をしていて、少しばかり乗れるようになって大転倒をやらかした痛い思い出の一つや二つがあるだろう。調子乗ってしまう瞬間が一番危ないし、そこまででなくてもヒヤッとしたこともいくつか乗り越えてきている。幸い大惨事にまでは至らなかったから今こうして無事にいるのだけれども、一つ間違えば死んでいたかもしれないね。そうやってどうにかこうにか生き残ったからこそ、今度は失敗をできるだけしないようにと先の話題が大人気だね。もちろんもう痛い思いをしたくないだろうし、できれば平穏無事にすべてのことを収めたいが故にそうなるのだけれども、一方で失敗をずっとしないままでいると、失敗を過大評価してしまいもはやコントロール不能なぐらいの恐怖として重くのしかかってくるわけだ。
学び
もちろん大人になってある程度の人生経験としての小さな失敗を繰り返すことで、そのノウハウは習得している。すなわちそこから学ぶことができている。ところが幼い頃に比べたら、大失敗をする経験が徐々に減っていってしまうため、失敗から学びという機会がどんどん減っていくわけだ。そしてこの社会ではある程度の年齢になって役職なり肩書きがつけられると、失敗すらもみ消されてしまったりするからますます学びがなくなってしまう。だから若い頃と比べて新たな気付きや発見がなくなってしまうわけだね。そうしていつの間にかあなたの経験も古ぼけたそれだけになり、時代からどんどん取り残される羽目になる。しかもそのことにすら気づかないままでいたりするから厄介なことだね。そうして世代間ギャップが大きくなり、現代の若者からすれば「老害」と蔑まされてしまうわけだ。そしてあなたもそうした若者をけしからん存在だと否定することばかりとなってしまうわけだ。
挑戦
それを受け入れられないのなら、あなたが子どもの頃と同じ環境に身を置けばいいね。右も左もわからない環境で、あなたの経歴や肩書きなど何の役にも立たない世界へ飛び出せばいい。年端もいかない若者に指示され、叱咤される環境であなたは何を感じるのか、そこをあなた自身で注意深く観察してみるとあなたがどれだけ学びを失ってきたかがわかるはずだ。従来のその役割を担っているのが我が子たちと触れ合う子育てとなる。子どもとともに生きて行く際に、あなたはあるべき姿を教育しているつもりだろうけれども、あなたの言うことは普遍的な部分と時代背景に影響された古ぼけた部分があることに気づくね。だから普遍的なところ以外は、あなたの感情でいくら注意したところで効果は少ないだろう。今どきの若者という言葉は太古の昔からあるのはそういうことだ。連綿として時代は変わり、環境も変化している。ちっとも失敗していないあなたこそ、何も学んでいないことにそこで気づくことになるわけだね。あなたの過去の成功こそ、一番思考停止の元となるから恐れるべきことなんだよ。