アンコンシャス・バイアス
感想
あなたの感じ方として、あなたがそれをどう見るかがすべてとなる。良く言われる例としては、もう半分とかまだ半分とかだね。いつもあなたがこの世界をどう見ているかによって、その感想が大きく異なるわけだ。すでに特定の何かを特別に注視しているのなら、そこにあなたなりの見方がすでに出来上がっている。例えばあなたがより注目していることに対して、もう終わったと判定するのか、もしくはまだ終わってないと思うのか、さらにはだからまた新たな出発だと定義するのか、すべての終わりだと安堵するのか絶望するのかだ。それらは、何が正しいとか何が絶対的な真実だとか、そんなものはどこにもないわけで、それをいつも決めているのはあなただね。そしてそれらを結論とするのかどうかも、やはりあなたがそう思うかどうかでいつも決まるわけだ。
足りない
すでにあなたはいつも足りないものを満たそうとすることが豊かさであり、それが幸せへの道のりだと信じている。だから、大切にしているものとそうでないものが必然的にその視点で無意識のうちに選定されている。時間よりもお金だったり、苦労よりも喜びだったり、平穏な日々より激動の日々だたり、そういうあなたがそうしたいという事が恣意的に選んでいることに気づかない。それらは同時にそこにただあるだけのことであって、もちろん意味もない。あなたがそれらに意味付けをして、それを楽しんでいる。さらにネガティブな側もあなたの楽しみを支えるために必然的にそこにないといけないわけだね。対比によって選別するのだから、光ばっかりでは影がないとその真価は発揮できないし、より幸せを求めるのならばその対極の不幸が際立っていないといけないわけだ。すなわちなにかを充足することに夢中になっているということは、その反対側をしっかりと感じていないと不可能だということになる。
満ちている
一方で、あなたにはすでにすべてが揃っており、これ以上のなにかを求める必要などどこにもないと感じていれば、それはすべてが余計なことどころか、災いごとにもなるわけだ。有り余る豊かさを手にしたり、余計な名声だったり、多すぎる喜びだったりは、あなたにとっては邪魔な存在として認識されるだろう。なぜならあなたにとってはそれらはもはや十分に感じていて、お腹いっぱいなのにさらにごちそうが運ばれているような気分となるからだね。そしてそれらは、他の誰かにとっては喉から手が出るほど欲しいものだったりする。すなわちあなたがこの世界をどう見ているかですべてががらりと変わることを表しているわけだ。あなたにとって邪魔なそれらは、誰かの宝物だったりする一方で、あなたが求めているそれらは、誰かにとっては邪魔ものだったりする。それが無意識なバイアスの根幹となっているわけだから意識的に注意したほうがいいかもしれないね。