いずれ消えゆく

日々

距離感

大きなものを見るとき、遠くから離れてみないとその全貌は掴めないね。でもあなたはいつもその細かい部分ばかりを見て良いだの悪いだのと言っているだけのことだ。全体を見渡すとそれも小さなことだったことを知るわけだけれども、どちらかというと枝葉末節ばかりが目についてしまうわけだ。だから、今日はいい日だったとか、今日はついてない最悪な日だったとか、そんな感想しか言うことができないでいる。何かをやろうとする過程で、うまくいかないことばかりを注目してしまって、だから人生なんてと急にスケールが大きなことまでも決めつけてしまいがちだけれども、長い目で見たときそれはほんの一瞬の出来事でしかない。そもそもあなたの人生がたとえ100年生きたとしても、人類の連綿と流れる歴史からすればほんの一瞬でしかないわけだし、それがたとえなにかに影響を及ぼすとしても微々たるものであることには違いないね。だから絶望する前にそのことに気づくことができれば、人生捨てたもんではないと思えるかもしれないね。

俯瞰

そうやってあなたには近くの細々としたことばかりを気に病むクセがあるということがわかれば、もっと大局を見ようとするだろう。けれどもそれも限界があることに気づいてがっかりするかもしれない。そう、あなたが見ているその視点を上げるには、それなりの情報が必要だからね。だから生涯学習しなければならないと言われる所以がそこにあるわけだ。なんの書物にも触れず、なんの歴史感も持たないままのあなたのわずかな経験だけで俯瞰したり、大局を見ようと頑張ってみてもそもそも視点が低いままの場所からは、いろんなものが邪魔して遠くを見渡すことができないわけだ。簡単な例で言えば、山の頂から見る景色は眼下にこれまで見たことのない景色が広がっていて感動した経験があるだろう。あなたはその麓の街で小さな人間関係に悩んでいて、今もそれに悩まされ続けているだろうけれども、その場所に立ったときに感じるそれは、随分と瑣末に感じるか、もしくはその瞬間は忘れてしまっていることだろう。そういう経験から得られる知見はあなたを大きく変えるまでのパワーを持っている。

最期の審判

おそらくそこにいて、それを総まとめでわかる瞬間というのは、あなたが明日生きられないというときだろう。明日が当たり前にある前提で、いろんなことに悩み続けていた。ところがもはやそれも必要もないという時期が来たとき、あなたはそれまでの悩みの本質がなんであったかをおそらく知ることになる。ああ、それならばどうしてもっと自分に素直に生きてこなかったのかとか、そんな瑣末なことにずっと人生を牛耳られてきたのかと思うかもしれない。明日それがすべてが消えゆくと思えば、今日という一日があるという奇跡に感謝だけしかなくなるだろう。貴重な毎日を誰かを恨んだり妬んだりすることなんて全く必要がなかったとね。もちろんそんなことがいつ起こるかなんていうのも誰にもわからない。けれども確実にその日がやってくるのだとすれば、あなたの人生観を大きく変えるパワーを持っているわけだ。さらに言えばそんな人生を歩んでいるとすれば、もうあなたは細々としたそれらを愛しく思える日が必ずやってくるわけだ。それが距離感を保つ秘訣でもあるね。死を友だちにするとはそういうことだよ。