あなたという虚像
ありのまま
あなたがそう思うのなら、そうだ。それがありのままということになる。でもあなたが別の視点でものを考え直すのならば、それもありのままだね。ということは、ありのままというのは、固定化されたものではなく、あなたがどう思うかでそれが一旦決まるわけだ。そこで一旦と言ったのは、ずっと変わらない真実ではないということだね。あなたがそのときそう思ったということがありのままという言葉で表されているわけで、それと絶対的な真実とは乖離がある。だから、あなたの気分や視点によってありのままということだね。ありのままというのは、そういうものでしかない。だからあまりにそれに対して特別視するのもあまりおすすめできないわけだ。だからそれを拠り所にするとおかしなことになるのは必然だとも言えるね。ありのままにとらわれすぎるのはおすすめできない理由としては十分だろう。
自然体
だからあなたらしさだとか、自然体でいるということは、あなたの心の向きによって大いに変化するわけだ。もしかすると、昨日のあなたと今日のあなたでは雲泥の差が生じることもあるわけだ。だから、あなたそのものに依拠するのもあまり得策ではない。そういった執着を手放すことがありのままの本質であり、なにもあなたらしさということにこだわりすぎるがあまりに、身動きが取れないようになってしまうと本末転倒だね。風に吹かれるがままに、あなたはフレキシブルに変化し、その時々にあなたが生まれ変わる事自体が、ありのままだと言える。そこを勘違いしてしまうと、おそらくは苦しくなってしまうだろう。それは本来のあなたらしさではなく、過去のなにかに執着していることになり、その事自体が矛盾に溢れた状態に陥ってしまうから注意したほうがいいね。
照らされた光
そう、あなたにどんな光が当たるかによって、あなたの色がその時々で変わるがままというのが、本質的なありのままとなる。そしてそれはあなたらしさと言ってもいいけれども、それは決して固定化してはいけないものとなる。そんなにコロコロと変わってしまっては、あなたらしさが失われてしまうと恐れているかもしれない。けれども、それがまさにあなたなんだ。だから固定化されたあなたなんてどこにもいないとも言い換えることができる。そのことをすべて受け入れられたならば、世界が一変するぐらいのインパクトがあるだろう。もちろん、そういうふうに考えがちだというクセは残ったままだね。でもそのクセさえもその時に吹く風のようなものだと捉えてみれば、それはそれであなたらしさとなる。それぐらいあなたらしさなんていうものは、根拠やこだわるのは馬鹿げているということだよ。