これからどうする

日々

せっかく

せっかくなんでいい景色を見ようとか、せっかくここまで来たんだから美味しいものを食べようととか思ったりする。それと同じでせっかくここまで生きてきたんだから、辛いことも悲しいことも嬉しいこともワクワクすることも全部体験したらいいね。だけれども、あなたはいつも良いことばかりを追い求めてしまうクセがある。それももちろんこれまで生きてきた証ではあるけれども、そうではなくてもせっかくなんで全部丸ごと体験するのも悪くない選択だね。だって、それはあの世に行ってからは体験できないことかもしれないからだ。今あなたがここにいるおかげで、良いことも悪いこともすべて体験できる準備が整っているのだから、それを選り好みして良いことだけで良いというのはもったいない気がする。それらはまさに映画と同じく良いも悪いも丸ごと受け止めてのことなんだからね。いろんな体験をして、結果的にはそれも叶わぬ夢となる運命であるのならば、全てを丸ごと楽しめるのが理想だと思うよ。

選択肢

もちろん同じ体験をするのならば良いことや心地よいことばかりにしたいと思う気持ちはよくわかるよ。でも、心地よいとか気持ち悪いとかの判断はあくまでも相対的なものであり、そのどちらもなければどうってことのない体験しかない。もっと言えば体験という記憶にも残らず、おそらくは忘却の彼方へしまい込まれて認識すらできないだろう。とびきり良いことがあれば、とびきり悪いことが同時に生まれるわけだからね。上り坂が辛くて忌み嫌うのならば下り坂も同時になくなって、そこに残るのは平坦な道しかなくなる。となると道を歩くという行為そのものがあなたにとっては消え去る運命となるわけだ。ただひたすらに平坦な道を行くのに感動も感想も持ち得ないからだ。そしてその平坦な道は当たり前にあり、そこへ感情移入することも記憶としてとどめていくのも無理な話となってしまう。そういう意味ではなにかアクシデントがあることによって人生の豊かさがより深くなるということでもあるね。

浮き沈み

激動の時代に生きるということは、それ自体が幸せであるということだ。いやいやそれ故に大きな不幸を背負って歩く羽目になると言うけれども、それが一番の幸せの鍵になるわけだ。変な話だけれどもどれだけ不幸のどん底にあったかということが、その後の大きな幸せが感じられる必要条件でもあるからね。対して不幸でもないあなたが、大きな幸福を得られることはない。なぜならそのギャップがそれらの感情を担っているのだからね。となると、あなたが思う幸せの絶頂に達したいと思うならば、深い不幸の谷に落ちなければならないね。そこの差異が大きければ大きいほどあなたの幸せは大きくなるのだからね。ほぼ平坦で無難な生活をしていると、幸せも不幸もそれなりでしかなくなる。そしてそれらが幸せかどうかもよくわからなくなって、つまらないと呟くようになるだろう。平穏で無事な人生が心の底から願っているものであるのならば、すでに叶っているわけだ。さて、これからの人生はどうしていこうと思うのかね。