体験格差

日々

機会費用

どうにもこうにも機会が必要だと思い込んでいる。だから現代では、いろんなことを体験することが良いことだと思い込んでいる人が多いね。海外留学もしかり、転職もしかり、いろんな経験をしたほうが一度きりの人生だもの、いいに決まっていると信じて疑わない。もちろんそれに反論する余地はないし、やりたいことをできるだけやれる環境が望ましいのは事実だろう。しかしながら、価値観が多様化する世の中においてそれがお金を払って受けるセミナーだったり、習い事であったり、学校であるという必然性はない。もちろんそこに行きたければ行ってみればいい。けれども、それが必須ではないし、そんなお金がない人がそれを羨んだりすることもない。今の世の中少しだけの費用で、情報を集めることぐらいは簡単になったわけだから、必ずしも大金を払って体験しなければならないというわけではないだろう。もちろん、さらに追求したり探求したりする機会があればそれもいい。けれどもそんな誂えた体験だけが価値があると信じているのは滑稽なことだろう。

忙しい子どもたち

今は習い事のブームで、目新しい習い事をすることでいろんな体験が可能な時代だ。もはや子どもたちであっても、大人以上に習い事やお稽古ごとにややもすれば過密スケジュールをこなしている。まずはピアノを習って、その後塾に行って、帰ってきてからすぐに宿題をこなして明日に備えている。土日にもなればダンススクールへ行き、その後サッカーやスイミングへ行き、ヘトヘトになったあとそろばん塾へ通っている。そんな子どもたちは僅かな時間で、ようやくゲームしたりテレビを見たりしている状態だね。そこまでいろんなことを親は体験をさせてあげたいという思いが強いだろうけれども、過ぎたるは及ばざるが如しであるね。ボーっとする余白の時間や、だらだらする空間がないと心を休める暇はなくなってしまう。一番大切なのは、与えられたお仕着せの体験ではなく、訪れた誰もやったことがない体験の方が、本当の意味で一番の学びがそこにあるというのにね。

点と線

もちろんそれらがすべて無駄だとは言えない。人生のどこかでそれらの点が線としてつながることもあるだろうし、それがあったほうが今のあなたにとって良い部分もあるかもしれない。けれども、逆に言えばそれらがなかったとしてもそれはそれなりに過ごせているとも言える。効果としてはせっかくそれらを体験して今があると思いがちだし、そう思わないとやってられないという部分もあるね。でも本来の体験の効果は、実は全く今の生活とは無縁なものなんだよ。そうなったからこその体験が本来の価値であり、あの時やっていたことが全く今には役に立たないことのほうが、あなたを豊かにするわけだ。そして、機会もお金もなくてそれらができないままであったとしても、あなたには必ず唯一無二の今があるわけだし、それはそうなるようになっていたと言っても良い。その当時他の誰かもやっていたことが山程あったとしても、あなたを構成する部分でないことこそ有意義な体験だったという証拠でもあるのだからね。