感覚のすすめ

日々

一身独立

あなたは直感的にいろんなことを感じている。良いとか悪いとか、幸せだとか不幸だとか、いまいちだとか最高だとかだね。そしてそう感じた瞬間に思考がその理由や原因を探してしまうわけだ。そうやって思考にモードチェンジした瞬間にすべてがリセットされてしまう。すなわちその感覚こそが生きるということであって、思考は生命そのものではない。そんな事を言うと、福沢諭吉さんに怒られてしまうかもしれない。自由であるためにまずは一個人がきちんと思考をせよと論じているからだね。だからこそ教育の重要性を説いたわけだ。かなり西洋哲学的な思想を世に広め、それ故に学問のすすめなどが残されたわけだからね。それも国家や社会を鑑みるときには必要なことだ。けれどもあなた個人に限ってみれば、そういうことよりももっと大切な感覚という部分を大切にしたほうが良い。もちろん誤った価値観や固定観念からそれらがときに社会との整合性が取れなくなることもあるけれども、それはまた別の問題となるだろう。

一国独立

それぞれの思想には、必ずそれが生まれた歴史的背景がある。何人たりとも歴史的背景、現代では社会的な環境から逃れることはできないね。かつての福澤さんがそういったのも、そういう時代であったわけだ。それが普遍性を帯びている部分もあれば、あなた個人には当てはまらなかったりする部分もあるのは、当然のことだろう。もちろんそこから何を学ぶかはあなた次第ではある。しかしながらそういう概念的なことが真実だと信じ込むのもどうかと言うことだ。例えば今となっては昭和の高度成長期に皆が信じていたあらゆる暮らしに対する価値観と、低成長時代の現代では大きく乖離がある。時代は変わっていく運命にあるし今の正解とされるものが今後もずっと正解だとは限らないわけだね。そこで求められるのはただ一つ、あなた自身が七変化できるぐらいの柔軟性を維持できるかどうか、それに尽きるわけだ。どうしてもこれが良いという体験をしてしまうと過去のその呪縛から逃れることは誰にとっても困難なことだからだ。

今を見る

だからこそ、今を見る。そしてそのまま感じることスキルは身につけておいたほうがいい。その能力こそが柔軟性を維持する命綱だからだ。それを思考してしまうと多くの場合は、過去の呪縛へ逆戻りとなってしまうことがほとんどだろう。あなたのそのものさしを書き換えるには、今を感じることしかできない。そしてそれもやがては一瞬のうちに古ぼけたものになる自覚をもつことだ。だから目盛りは消えないボールペンでなく鉛筆で書くぐらいの気持ちを持つと良いね。そうして目盛りをどうしてかけなくなったそれは躊躇なく捨てるぐらいがちょうどいい。だからといってこれまでのあなたの経験をすべて捨ててしまえと言っているわけではなく、あなたが新たに今ものさしを作ったとしても必ず今の環境の影響から逃れることはできないから大丈夫だ。アップデートして、これまでとは似ても似つかぬものだと思っているけれども、実はそれほど変化はなかったりするのもそのせいだ。それよりも今の時代を感じる力をしっかりと磨いていくほうが大切なのは言うまでもないね。