私を見てよ
ものさし
良いことも悪いことも比較して初めて生まれることだね。だから良いことばかりとか悪いことばかりとかは存在しないわけだ。良いことがあれば悪いこともあるし、とびきりの良いことがあるのなら、とびきりの悪いこともある必ずあるわけだ。そうやって比べることでしか生まれないそれらは、比べなければそもそも存在できないものである。それぐらい儚い良いこと悪いことなんだけれども、あなたはそれにいつも振り回されているね。そんなものはあなたが生み出した幻想でしかなくて、それにも関わらずそれが絶対的ななにかだと勘違いしてしまっているから辛いわけだ。良く考えてみれば滑稽なことで、あなたが自ら良いこと悪いことを生み出してそれに右往左往されているのだから、他人から見れば好きにすれば良いと思うしかない。あなたにとってのそれらは、誰からすればどうでもいいことであり、あなたにとって一大事のそれらは、誰からすればそうでもないわけだよ。
同じ数
そう、それらは相対的にしか存在できないことであるのだから、あなたにとって良いことが一つあれば、それと対象な悪いことが一つある。同じように良いことが100個あれば悪いことも100個ないと成立しないわけだね。だから、良いことばかりの人生なんてどこにも存在しないし、逆に悪いことばかりの人生も存在できないわけだ。だから、あなたがどれだけ不幸自慢しようとも、それと同じぐらいの良いことが隠されていることに気づくわけだ。そんな自慢は誰も取り合わないのはそういう理屈だね。悪いことばかりを主張するのは、良いことがある裏返しであり、そのことでさらに良いことを増やそうとしている魂胆が目に見えてしまう。逆に良いことばかりを主張したところで、同じだけの苦難がそこにあるわけだから、誰も共感はしないわけだ。どちらか一方を強調したところで、原理的にはどちらも同時に存在しないと成り立たないわけだから、どれだけいい格好しても不幸自慢しても誰の心にも響かないのはそういうことだからだね。
なにもない
だから本当のところを言えば、良いことも悪いこともない世界で生きているわけだ。災難も苦難も等しくだれにでも起こるわけであり、それも災難なのか教訓なのかを決めているのはあなた自身だということだ。それが始まりなのか終わりなのかもあなたの恣意的な判断であって、その根本を言えば、私を見て、ここにいるの、っていうことだけを伝えたいわけだ。そう、そういう意味で言えばみんな構ってちゃんであり、あなたが生きている意味を感じるための何気ない行動でしかない。ほら、とってもいい暮らしをしているだろう、と映える写真を投稿したところで、その裏側にはそうするために犠牲にしたいろんなものが隠れているだけだ。逆に不幸自慢をしているところで、本当にそうであるのならばそんなことを主張する余裕すらないはずだね。そうやって、ほとんどの人は孤独になる寂しさを恐れているだけのことだ。なんだ、そういう意味では皆が殆どの場合は幸せの中にいて、それが退屈だからいろんな尖った主張をしているだけのことなんだよ。