右左
様子
なんだか様子がおかしいと思っている。前はこんなふうではなかったとか、これまではこれで上手く行ったのにとか、継続性が破壊されたときに異変を感じるね。病気になったときもそうだ。体調が今までとなんだか様子がおかしいと思った時、医者へ行って診断結果を求めに行く。なんともないですよ、と言われたとしても、そんなはずではないとまた別の医者へかかりにいくわけだ。そうして突き止めた原因や病名を聞いて、なぜかあなたは満足するわけだ。様子がおかしいと思っているのは他の誰でもなくあなたなんだ。そしてそれが合理的な原因があるとホッとする。そしてそのぼんやりとした感覚の裏打ちを探し求めてさまよい歩いたわけだからね。やっぱりそうか、とあなたはそこで腑に落ちるわけだけれども、そんな犯人探しに明け暮れたところでそもそもの様子がおかしい問題は何も解決していないことに気づくだろうか。
見たい景色
そうやって、実はあらゆる問題ごとは、あなたがそう見たいからそうなっていると言ってもいいね。すなわち忌み嫌うあなたのこの世界は、実のところあなたがそうしていると言っても過言ではないね。こんなクソみたいな世の中で真面目に生きるなんて、修行そのものだと思っているのは、あなたがそう思いたいからそうなっている。逆にあなたがこんな素敵な世の中をもっと楽しみたいと思えば、そうなっているわけだ。客観的なエビデンスを探し求めて、あなたがさまよい歩くとき、不思議なことにあなたに都合の良いものばかりを見つけることができるからそうなっている。もちろん、どうしても見つからないというケースもあるにはある。しかしながらあなたのそう思い込んでいる信念はちっとも変わらない。だからなにかにつけやっぱりそうかもしれないという予兆を見つけては、あなたの直感に自信を持つことができるわけだ。
あなたの世界
それらのことを鑑みるに、実はあなたの外側の世界はなにもないとも言える。まさにあなた色に染まった世界が生み出されているだけだからね。真っ白なキャンバスにあなたが描きたい絵を誰が描いているのかを考えてみればすぐにわかるだろう。なら、どうせ描くのならば素敵な絵にしたいと思うのはあなただけではない。それなのにそうではないのも、あなたの率直な主張でもあるからだ。素敵な世界の裏側には必ず暗黒の世界が同居してしまうのは、作用反作用の法則として避けられない。悲惨な絵を知らずに、理想的な幸福な絵を書くことは残念ながらできない。なぜならその対比自体が存在しないからだ。であれば、今陰鬱な日々を過ごしているあなたは、その真逆の幸せの絶頂な日々に一番近い存在であると言えるだろう。とびっきりの不幸は、とびっきりの幸せを生み出すのだからね。表裏一体であるのならば、もはやこんなクソみたいな世の中にいるあなたが至極の幸福の世界に一番近い場所にいるといって差し支えないだろう。