人生の宿題

日々

向き合う

あなたはいつも問題と真摯に向かい合ってきた。それは解決しなければならないという義務感というか使命感に溢れ、あなたはこれまでいくつもの困難を乗り越えてきたわけだ。ところがそれらを繰り返して経験してきた結論として、実はそれらは向かい合う必要すらなかったことに少しずつ気がついてきたね。問題だと思っている根本の原因を探るとすぐにいつもたどり着くのは外側の要因ではなく、それはあなた自身の内面的なイシューだったわけだ。すなわち問題は外側からやってくるように勘違いしがちだけれども、実はあなたの内面から生まれているということだ。だから、それらをなんとかしようとするあなたの意識そのものがなくなれば、同時に問題ごともすぐに存在できなくなる。なんだ、結局のところそれらの問題ごとは外側から突然やってくるように思っていたけれども、実はあなたの内面的なそれであって、それはあなたがそこに意識を向けなくなった途端に消えてなくなってしまうということだね。

課題の創出

いつでもあなたに課せられる課題は、実はあなた自身が自ら課したものでしかないということだ。それは無意味ではなくあなたがあなたを成長させるために必要があったからそうなったわけだ。だから真摯に向かい合うこと自体は悪いわけではない。しかしそれが外部的要因のみでできていると思っていたけれども、実はあなた自身のために自ら起こしたわけだ。それがそうなったのもあなたが乗り越えなければならない壁に向かい合うということが必要だったわけで、それと対峙することで実はあなた自身と向き合うという機会を生み出したものである。それをなんとかしようとする過程において、あなたがその周辺事実を色々と精査する中で、あなたは次の扉を開くことができるようになっている。苦難というものはそうでしか存在できないとすれば、あなたは自らに課した修行のようなそれをいかに乗り越えていくかを自ら試しているわけだから、自ら進んでそれらを受け入れることで実はそれらとともに生きる覚悟がそこに生まれるわけだね。

宿題

そうやって生み出された数々の困難を乗り越えてきた。それらがあるから今があるわけだ。そして今後もそれらを生み出して受け入れることで確実に乗り越えることができる自信がついている。もはや恐れるのものはなにもないね。なぜならそれらを受け入れた瞬間にともに生きていくことになるからだ。そして未解決であってもさしたる問題は起こらない。いつもそれらは内面的なものであり、外部要因ではないからだ。だからあまりに過酷だと思えば、そのままにして放っておいても大丈夫だ。またあなたが力みなぎるときに向かい合えば良い。わかりやすくいえば期限のない宿題みたいなものだとも言えるね。いつまでにやらなければならないという設定はあなたが自由にできる。そしてちょっと今手に負えないと思えば、それができるまでキープしておけばいいだけのことだ。そう、宿題は自ら課したものであるから、解決できてもできなくても大きな問題とはならない程度のものだ。まずはその宿題を自らに出したということで、実はもうすでに完結しているわけだからね。