幻想価値

日々

何も足さない

あなたの人生にはそもそも何も持たないまま生まれて、生きることはそこに何かを付け加えることに夢中になることだと言ってもいいかな。そしていろんなものを手にしたあと、それらを失わないようにたち振る舞うことに専念する。やがて人生が終盤に近づくにつれ、それも叶わぬ夢だと気づいたころに、強制リセットされて元通りになる。端的に言えばそのようなものだね。赤子のあなたは、丸裸で生まれてくる。どんなに資産家の子どもであろうとも、どんなに貧しい家庭で生まれようともそれは同じだ。もちろんそのあとの手当の具合は違うだろうけれどもね。そして、なにもないあなたはいろんなものを付け加えて、身につけて大人になっていくわけだ。それをこの世では成長と呼ぶ。無から有へ、ゼロからプラスへと移り変わって今がある。そして今を守るために、あなたはあらゆる行動をし続けなければならない運命に置かれているわけだ。

所有

これはわたしものだと言い続けないと、すぐに誰かに盗られてしまう。だから法律なり書類なりができたわけだね。記録しておかないと、あなたや誰かの記憶だけでずっとあなたのものだと主張するのはとても骨が折れるからだ。逆に言えば、実はあなたのものだと言うその行為自体に無理があるからそうなるわけで、自然に帰すれば誰かのものなど一つもない世界だと気づくだろう。この地球上の土地を私のものだと言い張るとか、大地の恵みを私のものだと区切るのは、そういう意味では不自然極まりないことだからだ。家畜や植物が大きく成長するのはこの宇宙の恵みそのものであって、あなたがそうしたわけではない。しかしながらそれを育んで見守ったのはあなただとして、その費用をあなたに還元しないとおかしなことになるというのが現代の資本主義社会だ。随分も前にそれを正当化するために、投下労働価値説などからその理由を説明しようと試みてきたわけだ。

価値

そうやって価値という概念が生まれた。価値はあらゆるもののものさしとなったわけだ。自然に価値をつけることが当たり前になって、あなたでさえその例外ではない社会となった。価値があるものは希少であり、そのことによって高価となるルールがそこに仕組まれたわけだ。逆にそのルールにそぐわないものは無価値であり、取るに足りないと評価されるという意味でもある。しかしながらそれは限定的な適用でしかないはずなのに、いつの間にか拡大解釈が横行してしまう世の中になってしまったね。そもそも測りようもないことばかりなのに、そのルールのために無理やり測るようにしてしまったことが、あらゆる事件や苦痛を生み出すことになった。いわば悪魔の所業なんだけれども、それを嘘だと言ってしまっては元も子もなくなってしまう。だからやむを得ずそのルールを嘘だとわかっていても捨てることができなくなって息苦しくなったわけだ。ならばあなただけはそのゲームから降りたらいいね。もちろん騙されたふりをすることだけは忘れないでね。