誰のせいでもない

日々

犯人探し

これは誰のせいでこうなった、なんて言っていることが多いかもしれない。それはあなたのせいだと言われたらあなたは激怒するかもしれないね。これは誰のせい、と言っている時点ですべては悪い誰かがやったことだと決めつけているからだ。もちろんすべてを引き受けて憂鬱に苦しむぐらいなら、直ちに手放したらほうがいいけれども、すべてはあなたがどうそれを見ているかで決まっているのは事実だ。だからあなたがそれらを受け入れられるぐらいに幸せになるのが根本解決となる。それ以外でたとえ犯人が見つかったとしても、あなたがそこから不幸な感情を抑えきれないのならば、それは全く意味のないことだからだ。基本的に世間で揶揄されたり批判されたり、あなたが不快に思うことの共通点は、自分事として引き受ける人ではなく誰かのせいにすることだと言ってもいいね。それぐらいシンプルな原因が、あなたを長らく苦しめてきた大きな問題事の本質であると言ってもいいね。

寂しさ

だから、あなたの思いの深さなんて誰も汲み取ってくれることはない。なぜならあなた以外の他人はすべて犯人探しに追われているからだね。それは誰のせいだと見られる仕組みから逃れられないのなら、少なくとも自分のせいだと思われないように必死に対策を講じているせいだ。犯人は私ではありません、と主張し続けるために様々なことに気を遣って生きている。少しでも疑いの目を向けられるような紛らわしい行動は控えて、誰の目から見ても綻びのない行動しかできないという制限がそこにある。仮にそこに深入りしてしまうと、当事者としてマークされあらぬ疑いをかけられてしまうリスクがある。だからほとんどの他人は冷たく感じられるわけだ。ときに談笑することもあるけれども、心の芯の奥深いところまでは油断できないのはそういう理由だからだ。そしてあなたも含めて他人は十二分に注意を払い続けなければ、すぐに足元を救われてしまう危険人物である。

ヒューマノイド

そういうあなたからすれば、他人は人間の形をした冷徹なロボットにさえ見えてくるだろう。RPGのようなゲームの世界ではNPCとよばれるプログラミングされた登場人物みたいなものだ。決まったことしか言わないキャラだけれども、そのキャラの情報が次のステージへ進む鍵となっている。だから関わらないわけにはいかず、かといってそれほど肩入れするほどの存在ではない。あなたの職場でも組織でもそんな上っ面だけの関係性があるだろう。しかしながらそんな関係でありながらも、成果や結果があなた一人では到底なし得ないほど大きなものになったりする。だからあなたもそこでキャラを使い分けているね。仕事上のビジネススマイルと、家族団欒で心のおけない仲間に見せる笑顔は、表面的には同じ笑顔でもそのコンテキストによって意味合いが大きく異なっている。柔軟に適応して生きる力のほとんどはそれができるかどうかというのが現代社会のテーマである。機械的に処理することに感情を挟まないようにできるスキルさえあれば、もしかするとこの世は楽園なのかもしれないね。