裏の裏は表
それでも幸せ
何をやってもうまくいかないし、そんなつもりで言ったわけではないことが誤解されて批判されたり、良かれと思ってやったことが最悪な結果を生み出してしまったりする。もうこんな状況の中で、何が幸せなのかを見出すことが難しく感じるどころか、もはや幸せなんて不必要なんじゃないかと思ってしまうわけだね。でもね、それでいいんだ。あなたがなにかをしてそれがどうなろうとも、あなたが生きた証としてそれらが刻み込まれていること自体が奇跡であり、後に幸せだったという思い出に変わるからだ。いやいや、後からではなく今すぐに幸せに包まれたいと思うかもしれない。それも実はすでに実現しているからこそ、批判されたり傷ついたりしているわけだ。なぜならそもそも幸せが前提になければそれらは不可能なことだからだ。すなわち、あなたが日々いいことも悪いことも包摂された世界にいるからこそ、たまたまそのどちらかがフォーカスされた状況が生まれうるわけで、どちらか一方でも欠けてしまったら何も感じることはできないはずだね。
執着
すなわち、幸せになろうとすればするほどちょっとした不幸が増幅されてしまう傾向にあるわけだ。少しでも不幸だとか、ついてないとか、そんなことを感じたくないからこそ、それらのほんの少しの綻びまで見つけ出してしまうセンサーが働いている。だから、だいたいにおいて概ね幸せだという状況であるといえるわけだ。その余白がない中で、ちょっとした不幸を感じ取って嘆くなんていうことはできない。だから正確に今の状況を分析してみると、概ねあなたはついているし、大体のやりたいことができているし、そこそこの成果もある。けれども実はもっと幸せになるためには、細かい部分においての完全ではない状況までも打破しないと満点ではないということだ。それを成し遂げているように見える他の誰かよりも劣っているから、なんとかしてそれに追いつくようにさらに努力を積み重ねないといけないと思い込んでいる。キラキラと輝いているお手本は、あなたにとっての目標でありそうありたいと願っているわけだ。
裏側
そうやって依拠している他の誰かも、実はあなたよりももっと苦しんでいる。そんなことはあなたにとってはどうやっても見えない裏側となるね。あなたから見ればすべて兼ね備えて完璧な存在のように見えてしまうのは、あなたが向き合っている表面ばかりが見えるからだ。その裏側に何があるかは、あなたが向き合っている細部を観察してもどうしても見えないわけだ。まるで月の裏側が見えない原理のようにね。そもそもそういった裏側を見ようとしても直接的には見えないのも、あなたがそれを見ようとしているからだね。裏側とは光の影の部分であり、光り輝く部分があればそうでない部分が確実に存在してしまうものであり、それは強烈な光を浴びているものからは見ることが決してできないからだ。すなわち裏側を見ようとするのではなく、光の中で感じるしかできないものなんだ。そしてその裏側こそがあなたが今感じている苦難や不幸であって、実はそれらに支えられている。身も蓋もないことを言えば、不幸なのは幸福である証でもあるということだね。