成果という幻

日々

親友

いつもは損か得かで日が暮れる毎日だけれども、親友や家族といるときにはあなたは完全に無防備でいられるね。そこは絶対的な安心基地であり、腹を出して寝ることができる本当にくつろげる場所でもある。そこで英気を養ってまた戦いの日々に向かうわけだ。少しの優しさを持ってしまえば、簡単に足元を救われてしまい、身構えができていないと馬鹿にされてしまう。なにかでマウントがとれないと最下層のカーストに分類され、あなたの影響力を発揮するためには人生のレースの勝率を増やさないと相手にもされない。そんな戦いの連続の日々となる。そうやって傷だらけになってもなんとか生き残ることができているのも、あなたには帰る場所があるからだ。そこでエネルギーを蓄え、受けた傷を癒やし、自らを愛で満たすことで次に備えられているからだ。しかしながら普段はそれが当たり前すぎて、全く気にもかけない状況だね。もちろんそこが安全地帯であなたのモードが戦闘モードから丸腰となるわけだからある意味は仕方がない。けれどもその補給というか後方支援があるからこそなんとか持ちこたえられているのは事実だね。

成果主義

成果主義の明らかな欠陥は、成果だけに注目しすぎるところにある。もっと言えば成果主義でないと優劣をつけるものさしが維持できないということでもあるわけだ。そのプロセスや兵站である近しい人たちの功績は加味することが困難だからね。だからシンプルに何をいつまでにどれだけやったかという部分だけに着目せざるを得ない。それをどのようにやったとか、そのためにどれだけ犠牲にしたかとか、そういうものは含めようがない。しかしながら成果を含めたあなたが今ここにいるのは、それをやらなかったとしてもおそらく同じようにいるだろう。あなたの人生においてどちらが主かは明らかだね。あなたが今ここにいて笑っている価値と、たかだかミッションやプロジェクトの成果の価値と、実は比べようもない。それは次元が全く違う別物だからだね。仕事や勉強ができる優秀な人であっても、一番はそれを当たり前に取り組み、継続できるということが前提条件となるのだからね。

本来の姿

だからあなたの人生の本質は、仕事や成果ではない。それどころかもっと言えば、そんなものなんて比べようもないぐらいにどうでもいい些細なことだとも言えるわけだ。それが人生の重要な意味の大半だと思い込んでいるのは、実はそうやって洗脳されているだけのことに過ぎないね。成果や成績なんてなかったとしても、愛する家族や親友に囲まれて楽しくお気楽に過ごすことのほうが人生の醍醐味であるわけだし、それ以外に生まれてきた意味なんてどこを探してもない。ないことを良いことに、勝手に業績や成果が人生そのものだと色付けることができるとも言える。何もしなかったらダメなんていう強迫観念もそうだし、なにか一つでも得意なことがないと生きる価値がないと思わせるのも洗脳だね。そうやって無駄な動きばかりさせているのがシステムであり組織だ。そしてそれを設計、デザインしているのも実はあなたの同じ人だという事実はある意味衝撃かもしれない。操り人形からいつ脱却するのかは、それに気づいた瞬間からカウントダウンされるわけだよ。