わたしは記号

色々

身分証明書

何か手続きをする時に、今のシステムは本人かどうかを確認するために身分証明書を求められることが多いね。わたしが名乗っている本人であるかどうか、わたしがわたしであるかどうかが確認できないとその先には進めない。たとえ目の前で手続きしてくれている人がたまたま知己であったとしても、手続き上は省略したり避けられないようになっている。まぁそんな時はお互いに苦笑いしている。でも規則だからダメなものはダメとなるね。もちろんそれを利用して悪用する輩もいるし。システム的にはそんな見た目や体型や顔つきなんかはかえって余計な情報になる時代だね。見た目だけで言えば、世の中には自分とそっくりさんが数人はいるらしい。瓜二つの双子の方もいらっしゃるよね。だから、見た目という曖昧な情報の価値はますます低くなる。これまた悪いことを考えつく人は、システムを逆手にとって、本人になりすますには「曖昧な紙の証明書」をごにょごにょしてしまえば、なんて思いつくみたい。それはまだ曖昧な部分が残ったままの弱点だね。紙媒体の複製技術や写真なんかの加工技術も同時に進んでいるからそれすらも信用ならない。だからもう完全に「人の判断」が不必要な仕組みにしてしまおうという流れになるね。人が介在する部分が一番脆弱なんだから。人が集まって成立している社会から、もう当人なんていらないシステムに変えようとしている。

肉体はノイズ

つまりはこれからの時代、わたしがわたしであるかどうかは、顔つきや癖や声色なんかで判断してはいけないということだね。そんなバカなと思っているけれど、気がつけばすぐそこまで来ている気がする。スマホなんかは指紋認証とか顔認証とか当たり前のようにシステムが判断している。それもあっという間に判断できるね。もう、人がしげしげと古ぼけた証明写真なんかを見比べるとかそういう動作すら必要なくなっている。親が幼い頃からずっと見守っている我が子かどうかを判断するよりも、スマホの方が正確無比で素早い。スマホはバッテリーが切れたりするし、そもそもずっと持ち歩かないと使えないから、いっそのこと体にバーコードかチップなんかを埋め込んでしまえってなるね。そうして面倒な判断や責任を回避することができることをどんどん進めていっている。そんなだからたまに見間違うようなミスをする人は不要で、いっそのこと全部機械にやらせた方がいいとなる。人が生み出した機械とそのシステムはもはや神の領域だね。そうやっていずれは曖昧な判断をする人なんていらなくなるようにしているのかしら。

記号化されるわたし

効率化がどんどん進むと、すべての人はデジタル化され情報に変わっていく。わたしはもはやデジタルデータとなり、生身の肉体は不要な存在となるのかな。さらにそれが昨今の未知のウィルスによって加速されていくのだろうね。生身の人間は判断には必要なくなるし、判断するのも人では心許ないので、特に大事なところはすっかりシステムが支配するようになる。この流れは必然なのかな。今のところおそらく誰にも止められないような気もするね。肉体的なわたしという生き物は常に曖昧に変化していくけれど、デジタルデータに変換されたわたしは、老いさらばえていったとしてもずっとシステムの中では唯一無二のデータとして、システムの中ではずっとそこにあるんだろうか。もはやここにいることの証明とか生きた証なんかは、一意のデータでしかなくなるんだろうね。

システムが決める

ところであなたは本当のあなたですか?といつも聞いてくる相手は、もはや生身の人ではなくなり、単なる電気信号で動いているシステムばっかりになっていくのかな。わたしがわたしであることはもはやシステムが判断するんだよね。それを多くの人が望んでいる。そんな社会がもうすぐそこまで来ているね。