キラキラ
更新
久しぶりに友人とばったり出会う。お互いの近況なんかをさっと共有するわけだけれども、どうやらなんとかうまくやっているようだ。その裏側には苦労もあるのだろうと推し量るも、少しばかりの劣等感を持ってまた今度ゆっくり話でもしようと言って別れる。元気そうな顔を見て少しうれしい反面、あなたは相変わらずたいしたことがない存在だと感じるわけだ。逆にとてもかなわないと思っていた友人との再会で、あなたよりも苦労をしている様子が見えたとき、それを少し残念に思いつつもなぜか少し安堵しているあなたもそこにいるだろう。そうして人生悲喜こもごもであり、何がどうなるかわからないということを再確認するわけだ。もうあの時のあなたも誰かもここにはすでにいないということを再認識する機会でもあるね。あなたの記憶はあの時のままいつまでも変わらないけれども、それが急にアップデートされたような感覚だろう。まるでタイムワープしたかのようにね。
背伸び
そうやってこれまでは偶然にも必然にも実際に会うことがなければ、互いの近況など知るよしもなかった。けれども今やネットワーク社会においては、毎日のように近況が通知される時代だね。わざわざ不幸自慢をする投稿は少なくて、とてもキラキラした瞬間を切り取った断片的な情報が届く。それと比較して、あなたのなんてことのない日々の暮らしがつまらないものかのように錯覚してしまうのは、よくある話だ。あなたも負けじといいねの数を競い合えるような、いわゆる映える画像を送りたくて、あれこれと模索し始める。ちょっとしたおしゃれなレストランでの食事や、高級ブランドものを身にまとっている姿だったり、誰もが羨むだろうことをわざわざ「撮影」するためだけに出かけたりする。その目的は本来の楽しみよりも常に、どこを切り取ったら自慢できるか、誰もが羨む状況を切り取ることができるかだけに意識が向いている。もはやそれは楽しんではいなくて仕事よりも辛いことになるだろう。
欲望
そうやって情報によって欲望が操作されていることにあなたは気が付かないままだ。そもそもうやらましがられるためにあなたのリソースを注ぎ込んだところで得られる対価は、ちょっとした自慢と嫌味ぐらいだろう。そのために普段の何気ない幸せな暮らしを犠牲にするのは本末転倒だね。あなたがやりたい、行ってみたい、欲しいとおもっているその根本は一体なんであるかの正体を掴むことがその幻想を解く鍵になる。そのすべては誰かが良いと言っているから、に過ぎない。それを真に受けて操られているのは、もはやあなたの人生ではないね。もっといえば欲望の正体は、単に情報に惑わされているだけだと言ってもいい。あなたの本当の欲望はそうではなく、何気ない暮らしの中で得られる小さなしあわせで十分だろう。キラキラ輝く写真の裏側には、ドロドロした影が必ず潜んでいることぐらいは、知らないわけではないのに、それに惑わされてしまうのはあなたが誰かに乗り移られたからだよ。もっといえばどこにもいないあなたが欲望という幻想で浮かび上がっているだけのことだ。
