過去依存症
固執
こだわりは時としてあなたの矜持にもなるし、執着として邪魔者になったりもする。薬と同じで、多すぎると毒になるわけだ。そしてたいていの場合は毒になるほどの執着があなたを不幸にさせている。だから、ほどほどにしておくことを勧められるわけだね。そのちょうどいいぐらいのいわゆるいい加減さが残っていないと、ときに猛毒となって思わぬ困難に直面することになってしまう。まさに劇薬であり、取扱には注意しなければならない。もっと言えばなんでもない健康なときには、薬の存在さえ忘れてしまっているだろう。それと同じで変なプライドやこだわりがあなたを不自然な方向へとどんどん向かわせてしまう。なんてことのない自然な状況においては、実は矜持すらも忘れてしまっている状況であり、そのときが一番あなたが輝いていて幸せな瞬間だとも言えるわけだ。
忘却
体調がいいときは、病気になったときの不便さを知らない。病を患ったときに、いつものことすらできなくなる。その時初めて今までが幸せに包まれていたのだと気づくわけだ。なんてことのない日常生活のルーティンすら一人で満足にできなくなったりするからだね。それでしばらくして回復すれば、またそうなったことすら忘れてしまうわけだ。このことからもわかるように、こだわりとかプライドとか幸せだとか不幸だとかごちゃごちゃ言っていないなんでもない瞬間が一番の幸せであるということだね。だからこそ、なんだかんだと屁理屈を捏ねだしたり、プライドとか誇りとか普段忘れてしまったことをことさら思い出す瞬間に注意したほうがいい。そんなことを言い出すという裏側には、不幸の出発点にいるという証拠でもあるわけだからね。ちょっとそれらを自慢したりしたいと思うとき、あなたは嵐の前にいるということだ。
中毒
なら、自尊心を捨てたほうがいいのかというと、これまた極端な話には注意が必要だ。先にも言ったように、ほどほどに持つことは薬になるけれども、多すぎるととたんに副作用が強くなってしまう。そのちょうどいい頃合いというか塩梅を維持することが大切だ。それはまたそういうことすらもすっかり忘れて、何気ない日常であるが至極の幸福に包まれている時間を取り戻すための、あくまでも一時的な処方箋とも言える。そんな瞬間があっても悪くはないけれども、ずっとそれにこだわるのは毒だということだ。それぐらいあなたの矜持とか誇りとか過去の栄光とかは、あなたを正常に戻すためにあらわれているわけで、その効能を感じたならばすぐに捨てるぐらいでちょうどいい。でもそれはとっても効く薬でもあるので、ついつい依存してしまう危険をはらんでいる。だからやめられないことが多いかもしれないね。だからどうしても捨てられないものこそ、気をつけたほうがいいってわけだよ。
