ブランコ
できないことは後回し
最初に身も蓋もない結論は、いまなにができるか。ただそれだけをすればいいだけ。というか、それ以外のことはどう考えてもできるわけないよね。でも、感情を揺さぶる不安とか怒りとかはあなたの視線をいまとは違うどこかへ向けようとする。どうも不安とか怒りとかは視線がいまにあると困るんだろうね。不安はまだ起こってもない未来のことから生まれるわけで、それはいまではない。怒りはいまここで起きているように装うけれど、過去の記憶をずっといまにコピーして持ち続けているよね。ぶっちゃけていうと、「もう終わったこと」に対して「許せない」と思う気持ちを沸き立たせ続けている。終わったことを取り返すことなんてできないことは重々承知のはずなのにね。思わずカッとなった後は、それで終わりでしょうよ。それを継続してずっと怒り続けるのって、とっても骨が折れるし実は疲れてるんじゃないのかな。怒りの裏側では皮肉なことにそれを続ける苦労も全部背負っているね。自分で自分の首を絞めるとはまさにこのことだよ。
いい感じの揺れ幅
「ストレスのない人生を送りたいのですが、どうすればいいですか」という質問をする時点でストレスの正体がわかっていないね。もちろん、天気のように感情も変化するものだし、ときには未来のことを思ったり、過去のことを振り返ったりする。それは生きているということの醍醐味なんだよね。ああ、またあのときのあなたの発言を思い出して怒りの感情がぶり返してきた。あの言い方はちょっとひどすぎるよねー。なんて思ったり、これから先ずっとこのままの状態が何年も続いたらどうしよう、なんて急に不安に襲われたりする。ずっと雨が振り続けることはないことも知っているのにね。実はそうやっていつも感情を揺さぶって楽しんでいるんだよ。本当はね。過去の怒りも未来の不安もぜんぶ今そうやってゆらゆらブランコのように揺れている。ほどよく揺れているブランコはいい感じだよ。そういう仕組みを知るだけで、生きる醍醐味であるストレスを上手にコントロールできることも幼いときから知っているはずなんだけどね。
ブランコはいったりきたり
そうやって怖くない程度で、心を揺さぶることに注意しておけばいいんじゃないかな。でもこれが簡単なようで難しいよね。知らないうちについつい力が入って振り幅が大きくなってしまう。子供の頃のように、思いっきり振り切ったとこからの景色はどうなんだろうっていう興味も湧いてくるし。安全のために実際にはやらないのがいいけれど、原理的には一周回って大回転した後、元の位置にもどるね。感情のブランコを支えている支柱がいまここにいるっていう役割を果たしているからね。過去へ未来へ飛び出そうとしても、ブランコがそれを制限し続けているってわけ。行けそうな気がするけれどどうしても行けないから。途中で手を離すと地面に落ちちゃう。落ちた地面はブランコを支えている大地そのもの。この地球という星の上ではどうやっても、どれだけ力を入れたとしても、着地点はそこに落ちるしかないということだよね。え?そんなことは知っているよって?
ブランコに乗って
公園に行ってブランコに乗って楽しむのもいいし、飽きたら降りてお家へ帰ってもいい。それができることそのものが幸せの正体だね。簡単なことだけど、あまりに振れ幅に夢中になりすぎると、それさえも忘れてしまうから注意しないとね。いまなにができる?ちょっと怖すぎるなら降りたらいいだけだね。で、またちょっと乗りたくなったら乗ればいいだけ。適度な振れ幅は心地よいけれど、それも長くは続かないのも知っている。たまには振れ幅を大きくしてスリルを体験するのもありだね。辛いのはそこから離れられなくなることだよ。そういうときは思い出してね。そのブランコからはいつでも降りられるってこと。
あ、もうすぐ晩ごはんの時間だ、ブランコから飛び降りてお家に帰ろっと。