欲望の奴隷
あと一息
どんどんチャレンジしていて、あともう少しのところで完成するというのに、到達できなかったことがあるだろう。でもそれはそのままでいいんだ。やりたかったことがすべて完遂するよりも、あともう少し足りないことが次のモチベーションになるからだね。何も知らない周りからは、うまく行ったと評価されることもあるだろうけれども、あなたの心の中ではいやいや実はもう少し足りなかったということも経験しているだろう。それが次の挑戦にあなたを向かわせる原動力となる。誰かからすればあんなに上手く行ったのにまたやるのか、と驚かれるかもしれない。けれどもそれはもっとうまくできる予定だったというあなたの少し物足りない何かが新たな行動に結びつくわけだ。それはあなたしかわからないことであり、あなたがやるべきことだというのは、あなただけしかわからないことだね。そしてあなたはそんな人が見えないさらに先を見つめているわけだ。
欲望
欲望というのは、満たされたら消えてなくなる。すべてが叶ってしまうと虚しさだけが残って、ぽっかり穴が空いたような空虚な思いを感じたこともあるだろう。そう、欲望は満たされるとそれそのものがなかったことになってしまうわけだ。ところが内なる欲望は途絶えることがないね。物質的なものは手に入れてしまえば当たり前となる。心の中の希望はどれだけ達成したところで、満たされることがない。うまく行ったとしても、それをさらに洗練されたものへと昇華したいという思いは消えることがない。しかしながら物質的な欲望は虚無を生み出すけれども、お金に関しては心の中の希望と同じようにきりがないことは不思議だろう。そう、お金は実は実体ではなく心の中の幻影だということがそこでわかるだろう。お金は食欲や物欲ではなく、生命を育む次元とは全くことなるものだからだね。お金自体はそれそのものはなんの役割もなく、単なる交換価値しかないところがそれを解く鍵となるわけだ。
貨幣という虚像
そう、お金は実は幻想の一つであり、皆がそれに価値があるという虚像を信じているからこそ成立するものだからだ。実体はなく、それがあるからとしてあなたの生命を満たす役割などはまったくない。しかしながらそれを市場で交換できるという特殊性からとても便利であり、何者でもないけれども何者にもなれるという交換価値という特殊能力が備わっている。それをたくさん手にするということは、あなたが欲するものに七変化するという可能性を手にするということと同義だね。だからこそ、あなたはその便利さに魅力を感じているわけであり、決してそのものに価値があるとは直感的に感じてはいない。その便利さを享受するために、人はそればかりを集めようとそれこそ命がけで取り組んでいるわけだ。それによって手にする幸せは何にそれらを交換するかということによるわけだ。けれどもこれまた不思議なことにそれを交換することすらためらうわけだ。だからこそお金をたくさん持つことになる。富とはそういうパラドックスが生み出した虚像でしかないわけだよ。
