最後の欠片

日々

欠片

あともう少しで完成だというパズルの最後の1ピースを探している。けれどもどこを探しても見つからない。そんな不安が毎日続いている。特に生きるか死ぬかという生活レベルでもないし、ある程度の自由は効くぐらいの余白もある。豪邸ではないけれども帰る家がないわけでもないし、ささやかながらの団らんもある。気に入らないことは一向に減らないけれども、かといって楽しいことも少しばかりあったりする。それなのにあなたはその最後の1ピースが手に入らないことで、そのすべてを台無しにしてしまうわけだ。よく考えてみればほとんどがすでに揃っているのだから、それすらもまだな人から見れば羨ましい状況にあるというのに、当の本人のあなたは全くそれには同意できないね。あなたのステージはほぼ完璧だというのに、あなたが一番大切だと思って探しているそれが見つからないことによって不幸を背負い込んでいるのだからね。

信じる

思い起こせばいつもそうだった。もちろんいくつものパズルを解いてきた経験はある。けれどもそれで完成だと思ったら続きが必ず残っていたね。また一からか、と思いつつもそれは大きなパズルがどんどんと完成していく感覚によって、夢中になって揃えてきたわけだ。そしてようやくその全貌が見えてきたと思った瞬間に、ぱっと新たなパズルが出現してきたわけだ。その大きさはどこまでも続く感じがして、こりゃ完成するのはまだまだ先だな、と思ってきた。いつもあともう一息というところで大どんでん返しが起こり、これで終わりという瞬間は現れない。そこであなたはふと気づくわけだ。もしかしてこれが完成したら人生そのものも終わるのではないかとね。あなたの日々は、まるで最後の1ピースを探すことであり、それが見つかると最後の答え合わせとなってそこですべての終わりを予感している。これは想像でしかないけれども、それがいつまでも人生を楽しむ仕掛けなんだろうね。

不足の正体

ということは、人生という巨大なパズルに常に不足しているそれは、信じるということだろう。いつも未完成でこれさえあれば完成なのに、という最後のピースはそれだ。なにがあってもあなたはパズルを続けられているのは、それを支えてくれているあらゆるピースがすでに揃っているからだ。ほとんどのあなたの夢や希望はもうすでに叶っているからそれを可能にしているのは間違いない。あともう少しという希望は、あらゆる状況においてもそれ以外は大丈夫という裏返しでもある。気がついていないだけで、実はすべてのピースは揃っている。あなたが欠けていると思って探し回っているのは、あなた自身の完成という一声だけなんだ。それを言うためにいろんな根拠や確証を探し続けている。もう生きているという実感を確かめようとしているだけに過ぎないとも言っていいね。それがあなたの不安や不幸の正体なんだよ。そしてそれは誰でもないあなたがそこにいるだけで例外なく叶っているということだ。