幻の緊急事態

日々

どうでもいい

人生において、問題とされるそのほとんどはどうでもいいことだ。そう言うと反論があるのはわかる。とても大切で重要な判断ばかりの日常において、どうでもいいなんて言われたらなんのための苦労なんだと感じるからだね。でもよく考えてみればわかることなんだ。この判断を誤ったら仕事を失うかもしれないことがあるとする。それで熟考と慎重さをフル動員してどうするべきかを考えあぐねている。それがあなたの人生には大きな割合を占めているだろう。でも、例えばそれを間違ったとしてもせいぜい仕事を解雇されるぐらいが関の山だろう。いやいや、そうなると一家路頭に迷ってしまうんだと思っている。もちろんそうなるかもしれないけれども、そうならないかもしれない。仮にクビになったとしても、あなたがなんとかしようというエネルギーが残っているのならば、それなりに別の仕事を見つけてそれなりに暮らしていけるかもしれないからだ。だから、最悪な状況に陥ったとしても、だからどうした、と思えばそれほど危機的な状況でもなかったりする。

ほったらかし

やるべきだと思っていることがあって、あなたなりにかなり真剣にその下準備に取り組んで望んだとしても、実は状況が変わってそうでもなかったりする経験もあるだろう。べき論というのは、実はあなたが勝手にそう思っているだけでのことであり、いわばあなたの理想を描いているだけのことなんだ。だからそういうのっぴきならない状況だと誤った判断をしてしまいがちとなる。人生において実はそれほどのっぴきならないことはない。もちろんゼロだと言っているわけではなく、あなたが思っているほど毎日が大変だというのは相当盛っている話だろう。本来の能力からして、ずっと戦闘態勢でいることは物理的に不可能だからだ。それほどまでの危機的な状況を保つことができるのはせいぜい数十分ぐらいが限界で、それ以外は結構ぼーっとしていることが多い。それが悪いとかそうだからダメだとか言うつもりはもちろんなくて、その強い危機感があらゆる状況分析や現状把握にバイアスがかかってしまうということに注意したほうがいいということだ。

なるようになる

他方で、それほど苦労と努力をしようとも、結局のところなるようにしかならないという感覚も知っているね。おそらくはそうやってべき論で頑張ってしまう人ほど、それに気づくことが多いだろう。結局のところ思わぬ助っ人が現れたり、状況が変わったり、それこそその問題や課題すらも実は幻だったりもするね。あなたが必死に取り組んでいるそれらは、あなた自身が生み出した幻であったりもする。えらいこっちゃ、大変だ、と騒いでみたところでふと我にかえってみると、そう思っているのはあなただけだったりもする。結局のところあなたがそうやって七転八倒している横で、お茶を飲んでのんびり過ごしている仲間がそこにいるわけだ。そして、あなたが外界をなんとかしようとしたところで、実のところそれはもうどうなるかが決まっていたりする。したがってあなたが大変だと思うのはあなた自身のやりたいことであり、それは希望や願望や夢と同じで現実とは一致しているわけではないということだね。