今日も歌ってる?
歌うためにそこにいる
今は密になりがちな空間と、大きな声をだすことでツバキが飛んだりするとかで、カラオケに行って歌うことを控えている人はたくさんいるのかな。一昔前から、何か宴があるたびにカラオケなんかで歌う機会が増えたね。その人気ぶりからして歌を歌うことが多くの人にとっての楽しみの一つになっているようだね。あなたは歌は苦手かい?それとも好きなのかな?まぁ、上手じゃないからといってそういう場所に行くのが億劫に感じる人もいるだろうね。カラオケボックスというものが登場したのは、1985年ぐらいだったかな。当時は本当にコンテナみたいな部屋の中にレーザーディスクの設備があって友人や知り合いが集まればとりあえず歌いに行っていた。上手下手はそんなに気にしていなかったよ。だいたい下手だったような気がするね。今ではヒトカラとか言って、一人でカラオケを楽しめるお店も増えてきたみたい。誰に聴かせるわけでもなく、一人で歌うだけだけど根強いファンがいるみたい。一人でも歌うのは、いつかみんなの前で披露する練習のため、そんなの関係なく自らのストレス発散のため、目的は色々あるだろうけれど、一番はやっぱり歌うことが好きってことなんだろう。人はなぜ歌うのだろうね。
世界は歌でできている
歌を歌っても、お腹は満たされないし、プロでなければ生活の足しになるわけでもない。でも、多くの人は好きな歌を楽しんでいる。今では気軽にスマホ一つあれば歌声だけでなく、その姿まで動画で記録することもできるね。それをネットに公開して同じ時間を共有することも簡単な時代になった。好きな歌は早送りしても意味がないね。3分の歌は同じ3分をかけてそのまま聴く。歌を含めて音楽って一体なんだろうと改めて考えてみると、音の重なりを楽しむこと。好きな歌を早送りしたり遅くしたりして聴こうとはあんまり思わない。厳密にいろんな音の重なりや歌詞をを楽しむためには、同じ時間の流れで聴くのがいいね。テンポもとても大事な要素だし。街を歩いていたら、急に懐かしい歌が聞こえてくる。すると、思わず当時の思い出が蘇ってきて、心の中で口ずさんでそれを楽しんでいる。単なる音がいくつも同時に鳴ったり、ずれたりしている一連の中から、なんだかよくわからない大いなる流れを感じている。その流れや音や声と、いまここの世界が一体化しているね。
音と想い
今では記録した音が身近にたくさんある。一つ一つの音は必ずうまい具合に鳴り止むね。消えてなくなる音を、うまい具合のタイミングでどんどん重ね合わせて一つの歌や曲になっている。ずっと鳴り響くとそれは歌にはならないし、そもそもずっと声を出すのは無理だよね。長く出したり短く出したり、高い音にしたり低い音にしたりしてひとかたまりの歌になる。声や音が聞こえるという出来事の連続がうまい具合に重なると、そこに何かを感じる。その感じた思いは音が消えてもずっとそこにある。思いという形のないものを声をつなげて歌っているね。思いを歌にして心を伝えているとでも言うのかな。世界を超えて宇宙を超えて伝わるのは音楽だけだとよく言われるのは、言葉を超越した何かがそこにあるからだろうね。あなたの声は遠くまで届かないけれど、あなたのその想いはずっと遠く、もしかしたら宇宙のはてまで届くのかもしれないね。