心の扉

日々

無意味

すべては意味がない。その意味を与えているのはあなた一人だからだ。どんな選択をしようとも、どんな行動をしようとも、それらは本来の意味はまったくないんだ。だからこそ、あなたはそれを楽しめばそれがすべてだ。それ以上の誰かの後押しを欲しがったり、正当性を確かめるようなことはすべて無駄だといってもいい。もちろん無駄だから意味がないというロジックは堂々巡りとなってしまうから注意が必要だ。意味を求めるととたんに苦しくなるのは、そもそもの本質から離れた別の次元のロジックを当てはめようとするからであり、そんなことをしないでただただ楽しんでいればそれだけでいい。そのときに意味を教えてもらっているからそうしているわけではなく、意味など関係なく夢中になっているから穏やかな気持ちもままでいられるわけだ。悩んだり苦しんだりしたとき、それぞれの好きな場所で過ごしたりするのも、実際のところ意味がないという確認をしているだけだとも言えるね。

有意義

だから、あなたがそれを好きだと思うのならばとことんそこに集中することが、人生を豊かにすることと同義になる。時間やそのあとのことなど考えずに自然のあなたでいられるからこそ、そうであり、あれこれとべき論を考え出すから袋小路にハマってしまうわけだ。そもそもあなた自身という幻想から始まった論理は、それらはどう考えても結論にはたどり着けないのは当然だとも言える。仮想の根拠になにか確証的なものを求めたところで、どこまで言っても不確定なものしかでてこない。だからこそ、無意味な時間に深く溶け込むことで、すべてがご破算になりどこにも壁のような障害物が消えてなくなるわけだね。言い換えれば自然に帰るわけであり、どこまで行っても閉鎖空間がない状態だからこそ、なにか悩み事があったときにそこへ戻ることができれば、自然とそれらの壁は溶けてなくなる。だからちょっと考えすぎて行き詰まったときは、あなたなりの方法で解消したほうがいいね。

あなたの心の扉が開いたとき、すべては消えてなくなる。もっと言えばあなたが勝手に閉じた扉そのものに意味を求めるから、その自己矛盾によって苦悩を自ら生み出しているわけだ。それに気づくことができれば、それまでの苦悩の原因がわかる。そしてそれを体得できれば、現代社会において増え続ける扉を一掃する方法を取得できるわけだ。そうなると同じ苦悩であっても、どうせ解消できるとわかっているから、それを今度は楽しむことさえできるようになるわけだ。これを悟るとか達観とか呼ぶかもしれない。しかしそんなことすら、また新たな扉を建ててしまうこともわかる。すべてがどうでもいいことであり、すべてが無意味だと知るからこそ、そんな状態も笑って過ごせるようになる。それは生きるということの副作用というか醍醐味だと実感しているからだ。扉をどれだけ建てようとも、実はその扉の間は隙間だらけだと知っていることが、幸せそのものなんだね。