放っておけない

日々

放置

何がどうであっても、それはあなたの思い過ごしだと知ったとき、すべては放って置くことが一番だとわかる。それでも、あなたの価値観や倫理観というものがどうしても手放せずに、その色眼鏡で見る世界はあなたにとっては拷問そのものだね。子どもが騒いでうるさいと感じた時、それでもあなたはそれは子どもの頃の一時のことであり、そんなことに目くじらを立てるのは大人げないと理解はしている。けれども、直感的にはうるさいものはうるさい。さらにはあなたには急用があってそれこそ急いでいるというのに、そんな騒音の中でしばらく耐えなければならないとすればなおのことだ。こちとら急いで資料を作成していたり、その後の段取りなんかを思案しているというのに、もう少し静かにしてくれないかと願ったりもする。そう、あなたはそうやって理想の姿とあなたの感情との間にいつも揺れているわけだ。叱りつけたところで、そんなものは効果があるわけでもない。かといって、そのまま放って置くのはなんとなく癪に障るわけだからね。そうやってただただ時間がすぎるのを待つ日々となっている。

葛藤

いつもそうやってあなたにとっての善悪の間で揺れ動いている。子どもを持つ親の顔を見ると少し疲れた様子だったりするから、そこに同情をしつつも、どうして厳しく注意するなり、なんなら一旦降りないのかとか憤ったりする。そして同情から哀れみるようになって、大変だろうなと思ったりもする。そんなあなたの感情の起伏を感じつつ、あなたはその中庸を探し続けてバランスを取ろうと必死になる。結局のところ放って置くというよりも、注目し続けていて巻き込まれ、理性と感情をコントロールすることであなたも疲弊しているという有り様だね。いかにあなたが普段から感情に支配された日々を送っているということの現れであり、そのことに否が応でも直視させられる瞬間でもある。そしてあなたが直感的に感じたあなた自身の本音が悪そのものであることにがっかりしているわけだ。ややもすれば罵声でも浴びせてやらねばと瞬間的に思ってしまったからだ。その代替を親がしてくれることで、あなたの溜飲を下げることがかろうじてできているような瀬戸際の状態でもある。

欠落

ようするに、何が一番の鍵かと後で落ち着いて考えてみれば、余裕があるかないかだね。あなたも日々の生活に追われ、やるべきことがたくさんあってその余白がなかった。そこにあなたにとって邪魔になる存在が現れた。そのときの直感的な本音は、邪魔をするなという一点となる。それなのにしばらくはその状態と強制的に向き合わせられる状態が続くとなると、あなたの情緒が大きく乱れてしまうわけだ。逆に言えば、特に急ぐこともなく、たった数分ぐらいの子どもの泣き声が聞こえたとして、あなたはその元気な声と親が困りつつもなだめている状況を見たとして、ああ、そんなときもあったななんて回顧して懐かしく思ったりもする。そしてまさに悲喜こもごもなシーンを目の当たりにして、あなたが今生きているという実感をさらに深めたりもできるね。単純にあなたが思ったとおりになるか、ならないかで憤ったり、安堵しているに過ぎないわけだ。さらにはそんな余白がない瞬間にあなたの中に潜んでいる悪魔が顔を出す。感情に流されるということの本質はそこにある。だからこそ放って置くことができるのはすごいことなんだよ。