微調整の達人
微調整
いつでもあなたは微調整を無意識にやっている。少し短気なところがあるけれども、その感情をうまくコントロールしているね。あるいはちょっと飽きっぽい気質があるけれども、なんとか期限をうまく調整してやりくりしている。それらは忍耐や努力ではムラが出てしまうから、それもうまく調整して仕組み化していたりもする。本当にそういう意味では微調整の神とも言えるかもしれない。そしてそれは大人になるということと同義に捉えられているわけだ。幼き頃はそれもできずに、ただ感情やその日の気分によって右往左往していた。理屈なんてどうでもよくて、今あなたが感じたそのままをストレートにぶつけていた日々だった。ところがそれではあなた自身も疲弊することに気がつき、いわば上手にそれらとやりくりをして向かい合えるようになったんだね。そうして今ではそれがややもすれば絶妙にやってのけるようになった。何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、今度はできるだけ波風を立てず穏便に過ごそうとするがあまりに、なにも先んじて行動することが減ってしまったわけだ。
意図
そうすると今度は、なにか思い切って間違いや波風を恐れずに行動や決断をする練習が必要になってきたね。本来は感じるままに行動していたあなたが、あまりにも調整が上手になりすぎて失ってしまったわけだ。衝動的な行動がときに必要になったとしても、無意識にそれを抑える訓練をしすぎてきたからだ。だからすべてが正解主義となり前例主義となってしまった。やったことがないようなことを思い切って一歩踏み出すことに臆病になった。その結果、同じような行動しかできず、同じような日々を送り続けている。だから今度はあえてそれらを変革しようともがいてみても、絶妙なバランス感覚と上手なブレーキがそれを許さない。それはそれでまた一つ悩みの種が新たに生まれたわけだ。このままでいいのか、という自らの問いに対しての答えは、でも、だって、という言い訳によって答えが見つからない状態だね。その葛藤をこれまでもおそらくはこれからも続けていく人生となってしまったわけだ。それを自らの意図と呼べるかどうかは、あなた自身でさえ答えられない難問となってしまった。
決断
何事もプラスマイナスゼロとなることがこの経験から学べることだね。自重して協調性を重んじ、決して何風をたてずに思いやりと慈悲にあふれた人生は素晴らしいと評価されたがあまりに、今度は自己犠牲でいっぱいの人生となってしまって、結局のところ本当の意味でのいい加減さの匙加減ができないわけだ。そしてある意味安全で楽ちんな方を選びがちとなり、ちょっとしたスリルや冒険を避けるようになった。それはいわば大人になるという高評価が与えられることが多くなったので、その評価も手放しがたいわけだ。でも本質にもどると、今度はその微調整の訓練をしなければならないね。あなたの性分をすべてさらけ出しなさいというわけではなく、誰かの顔色ばかりを見る人生から少しだけ離れることが新たな課題となったわけだ。その達人となるにはまだまだ先は長いだろう。けれども、時には大失敗をしてみるのもこれまたその一歩となる。そんなに心配しなくても大丈夫なのは、すでにもう微調整の達人なので、ほどよいところであなたはきっと折り合いをつけることができるはずだからね。
