希望か欲望か

日々

善意

良かれと思ってあなたは色々とやってあげることが多いね。それは優しさとか思いやりという部分もある。こうしたら喜んでもらえるだろうとか、そうやったら助かるかもしれないとね。でもそれは、あなたがやりたいからそうしているだけであって、必ずしもそうではないこともあるだろう。特に逆の立場になってしまうと、嬉しい反面くすぐったいというか、ちょっと他になにか企みでもあるんじゃないかと勘ぐってしまうこともある。あなたの善意はストレートにすべて伝わるわけではないということだ。しかしながら、そんな思いを持つあなたはそれはそれで自由だしなにしろ喜びにあふれているだろう。だから行き過ぎるとエゴとなってうざったいものになってしまうけれども、それよりも実はあなたが一番幸せを感じられる瞬間でもあるわけだ。だから多少そんな思いをさせてしまうかもしれないけれども、少しだけは受け止めてくれたらいいわけだ。それを全部受け止めなければ満足できないとか、いわばありがた迷惑になりすぎると、最初の前提が崩れてしまうわけだね。喜んでもらおうと思ってしたことが、かえってありがた迷惑になってしまうと目も当てられない状態となるわけだからね。

誤解

そうやって、あなたは何度も間違いをおかしてきたことだろう。でもそれでいいんだよ。逆にあなたが思い通りにならない誰かや周りの状況に憤っているよりも、ずっと優しい世界がそこに広がっている。もちろん、実はちょっと迷惑なんだと思われてしまっているかもしれないけれども、あなたがそれに気づいて少し調整してあげるだけで十分なんだからね。そういう間違いさえも恐れるがあまりに、実は何もやらないという選択肢を選んでしまったり、冷徹な態度を取ってしまうよりかはましだということだ。もちろん、優しさがときに誰かを傷つけてしまったりすることは幾度となく経験しているだろう。そこで遠慮が生まれてしまうわけだけれども、あなたがあなた自身を喜ばせることができるのならば、何もすべてをやめたり、逆張りのような無関心を装うことは必要はない。気になっているのならば素直にそういえばいいし、ありがた迷惑になっているのならばそれをそのまま受け入れればいいね。その思いを伝えるには、それなりの手続きと手段が必要なんだから、ちゃんと手順を踏んでいくことさえ忘れなければ、それほど周りを不快にさせることはないだろう。

偽善

そこでのポイントはたった一つだ。あなたが自己満足で喜んでいるのかということだ。優しくない人は必ず見返りを求めている。こうしてあげたんだから、相手にもそれかそれ以上のお返しを期待しているのだからね。そこがもし少しでもそうであるのならば、それは偽善だと判断しなければならない。あなたはあなた自身に期待を寄せてそうしているのか、それとも相手になにかしてもらうことを期待しているのか、そこが一番のポイントだね。一見優しく見える言動も、そのポイントがずれていると全く違うものとなってしまう。なんの見返りも求めず、ただただあなたが幸せを感じられるような状態を求めるためにする行動と、はじめから打算的に見返りを求めるそれとは全くの別物だ。あなたの外側に求めるそれは欲望であり、あなたの内側に求めるそれは希望だ。欲望は結局のところ相手を犠牲にしたり利用したりする前提での行動であり、希望は相手がどうだとかはあまり関係がない。それ故に注意しなければならないのは、あなたがどこを向いているかというところで大きく違ってくるわけだね。