同じ絵を見ている
幸せの本質
幸せとか不幸とか、そんなことで毎日があっという間に過ぎていく。単にすべてはどっちでもないと思って過ごせばいいだけのことなのにね。不幸とはなんてことのない幸せな状態なのに、そうではないことをわざわざ見つけている状態だとも言える。逆に幸せだと言うひとはいろんな万難をクリアしている状態だとも言える。だから不幸自慢はカッコ悪いわけだ。誰しも思い通りになっていないことを2つ3つ探せば、すぐに見つかるものだろう。ところがその逆は意外と苦手だったりする。不幸自慢に慣れてしまっているから、そんなふうに悲劇の主人公を演じ続けることばかりに気がいってしまって、毎日そうやって無事に過ごせている厳然たる事実には目を背け続けているだけだからだ。一度その状態で心配されたり同情されたりする快感を得てしまうと、もうそこから離れられないようになる。だから少しでも幸せだと思うことがあってはならないという変な状況になってしまう。一度そういうキャラを演じてしまうとそこから抜け出すことが怖くなってしまうわけだ。ようするによく考えてみれば言うほど不幸ではなかったという事実と向き合うことができなくなるわけだね。
不幸の本質
不幸とは幸せの中にしかない。それまでの何気ない生活が急に維持できなくなったり、愛する人が当たり前のようにそばにいたのにいなくなってしまったとかが不幸だとすると、それまでは幸せだと思ってもなかったクセに、失うことによってようやく気がついた状態だね。思ってたとおりに人生が送れないのは、何もあなたに限ったことではないし、程度の差があるとはいえ、大切なものやひととの別れはだれもが避けられないことだ。それなのに、なぜかあなただけが特別な存在だと周りに認めてもらうがために、あなたはさらにそれ以上の何かを見つけては不幸だとわざわざ確認しているわけだ。間違いのない不幸であったとしても、それを感じられること自体が奇跡であり、それはある意味あなたに与えられた試練であり課題でもある。そしてそれを乗り越えるためにあなたは一歩踏み出すきっかけでもある。なにがどうなっても結局のところ不幸なんてあなたが決めない限りどこにもないということになる。
見方
それでも苦しくなったり辛くなったりすることは避けられない。それらはできればない方がいいと思っているから余計に強く感じられることだろう。しかし一方で幸せを感じている人は、それが次の扉を開ける鍵だと思っていたりする。終わりは悲しいのか、もしくは始まりなのか、それは見る人によって大きく異なるわけだ。目立つことに注目してしまう傾向にあるあなたは、8割が幸せで2割のなんともならないことをとても強烈に見つめ続けてしまう。おおよそは順風満帆に過ごせているにもかかわらず、ほんの少しの気に入らないことばかりをクローズアップし続けて大騒ぎしているわけだ。それであなたはとても苦しんでいるとすれば、その見方をすこし変えたほうがいい。もう半分なのか、まだ半分なのかという話も同じことだね。何をどうみるのかであなたにとっての世界は大きく変わることは知っているだろう。結局のところ幸せな人はおおよそ8割の部分を見ていて、不幸な人は粗探しをして2割の目立つ不整合を見つけ出している。そしてそれは実は同じ絵を見ての感想だね。ただそれだけのことで、人生は一変するのであれば、今すぐどちらにもなることができるということだ。
