とにかく動け
決断
仮説を作成して、それに対する回答を思考するとき、それが妥当性があると判断するかしないかは、あなた次第だね。それもその仮説に対する一時的な回答としていくつかあるなかで、その選択を委ねられている。そしてそれは決して一度きりのものではなく、あなたが日々行動していく中で変更や微調整もあり得るわけだ。そうやって何かしらの選択と決断を繰り返すことで、よりよい結果を求めて改善していくわけだ。あくまでもそのときの正解とは、一時のことでしかなく、永遠の正解なんていうのは存在しないことを再確認することになる。すなわちすべての正解のようなものは、そのときのベストエフォートであって、最終的な回答にはなり得ないことばかりだからだ。すべては仮置きして、行動をしなければ何も始まらないという実体験を何度も繰り返すことで、よりよい未来への指標としているだけのことだね。決定打みたいな会心の一撃があれば、迷いも思案もなく進むことができるわけだけれども、実はそんな状況になることは稀でしかない。それは不確実性という未来に対するアプローチとしては定石のみたいなものだからね。
試行錯誤
だから試行錯誤を余儀なくされるわけだ。そしてそれは特殊なそれではなく、いつものこととしてあなたも当たり前のように認識している。未知の問題に対してどうアプローチするかという問題の解としては、様々の手段がそこにあり、それがすべて有効であるかは、やってみないとわからないからだね。すなわち問題を紐解くときには、思考だけで完結するわけではなく、実際にそれに沿って行動することによって手応えを確かめる必要があるわけだ。思考だけで何かを対処しようとしてしまうと、結局のところ何も進まないわけだし、その仮説を検証することすら困難なわけだ。もちろんあらゆる視点で考察することは可能だけれども、捨象している状況のパラメータはそのモデルには適用されないままだから、結局のところ思っていた通りではない状況に遭遇することになる。なにかのアプローチをするときに、あなたの論理的な思考の範囲内で収まることが少ないのは、あなたが実施に行動することで起こる波紋がそこには含むことができないからだ。あなたが行動することによって状況が刻々と変化するところまで予測できれば、思考実験の中で完結できるかもしれないけれども、実際は思わぬ落とし穴がそこに生まれてしまうことが多いだろう。
複雑な関係性
そうやって何も変わらない前提であればある程度予測が可能かもしれない。けれども、実際にあなたが仮説の通りに動くことで様々な想定要因が変化してしまう。だから結局のところ実際に行動することでしかその様子や変化を捉えることができないわけだ。だからあまり仮説の精緻化ばかりを気にしたところで時間の無駄となることが多いね。思考実験の限界としてはそれをあなたが選択してやることによって、当初考えていた前提のパラメータがすべて変化してしまうことによって想定外のことばかりが起こってしまうわけだ。となると、あまりその仮説の完璧さを求めるよりも、実際に動かしてみて調整することのほうが有効だということだね。思考実験としてはそれ自身が無駄だとか言うわけではない。けれどもそれによって仮にやるべきではないという判断になったとしても、それが絶対だと思うこともないわけだね。やってみて、そらみたことか、という確認であったとしてもそれをすでにやったあなたは、もう過去のあなたではないのだからね。だからアウトプットは思考だけではなく、実際にやってみたうまくない結果が出ることのほうが重要なわけだよ。
