時を超えて

日々

歩幅

誰かと一緒に散歩しようと出かけてみると、とても速く歩く人とはのんびりムードも台無しだね。ちょっとゆっくり歩こうよなんて言っても、その人にとってのゆっくりとあなたのゆっくりの歩幅が違うわけだからある意味仕方がないね。歩みが速い彼からすればもっと速く歩けないのと不満に思うだろうし、あなたからすればそんなに速く歩いたらせっかくのリラックスタイムが台無しだと思ってしまう。結局のところ一緒に散歩しないほうがお互いのためというオチになるわけだ。そんなことが日常のあちらこちらで起こっているのが現代社会だね。情報化社会と呼ばれて久しいけれども、膨大な情報が流れ続けていて、昨日の議論は今日には大幅に流れが変わっていたりする。良かれと思ってやっていたことが、今ではもはや通用せず、かえって逆効果になってしまったりもする。長く生きていれば今更それが流行るのかとびっくりしたり、カタカナばかりのアイドルグループをようやく見つけたとしても、すぐにオワコンになったりもする。たいてい大流行するなにかは、その寿命はびっくりするほど短いのもそうだ。とにかくぼーっとしている暇もないぐらいにあらゆることにキャッチアップだのアップデートしていかないとすぐに置いてけぼりになってしまう恐怖と戦っているわけだ。

レッドオーシャン

変化の流れがとても速い状況において、そこにわざわざ飛び込むのは得策ではないとされている。あなたがあなたの歩幅で歩くことができる場所を見つけることがとても大切だね。もっと言えばそれらのスピードは実際のスピードではなく、作られたり仕組まれた幻想であることに気づくことが大切なんだ。あまりに忙しいと思い込むが故に、本来なら大切にしなければならない人生の瞬間さえ、おざなりにしてしまう悪循環となるわけだからだ。慌ただしい中であっても、あなたのペースでゆったりと散歩したり、食事をゆったりと楽しんだり、十分な睡眠を取ったりすることは豊かに生きることの本来のペースなんだからね。そこに流れる時間があなたそのものなんだから、誰かと比べて朝活をするために睡眠を削ったり、作業量を増やすために食事を簡略化したり、ましてやのんびり散歩している時間なんて無駄だと切り捨ててしまうのは、結局のところあなたを生きていないことになってしまうわけだよ。そこでのキーワードは常に競争させられているということだ。誰かと比べることによってあなたは目まぐるしいスピードの渦中に立たされているんだ。

離脱

そういう社会の意識潮流から上手に距離を取って、本来のあなたの速度を取り戻すことで豊かな時間を手にすることができるわけだ。急がされる社会に翻弄されてまさに自分を見失うなんてよく言ったもので、あなたが出現する暇もなくなるとあなたはそこにいないのと同じ状況となる。そして気がつけばあっという間に年を取っているわけだ。まるで現代の龍宮城のようなものだとも言えるね。時間はあなたの心の中で生まれているのもそういう仕組みなんだ。そしてそれは現在から未来へと流れているかのように感じているけれども、実は未来から今へ流れているとも言えるわけだ。そんなことを感じられるぐらいの余裕が持てるようになると、速さの正体を見抜くことができる。そしてあなたが本来の生きる鼓動に戻ることができれば、これまであたふたしていたそれらは、実はとてもゆったりと流れているようにさえ見えるようになるだろう。そのときがちょうどあなたのペースが取り戻せている状態だね。なんてことのないことだったと落ち着いてゆったり対処しつつも、季節の変化や街の喧騒なんかも楽しめるようになっているに違いないわけだ。