受け取るだけでいい
無我夢中
我を忘れているとき、あなたはそこに溶け込んでいる。何かをやろうとひらめいて、とにかく集中して取り組んでいるとき、どこにもあなたはいないとも言えるね。でも集中してやりなさいと言われて、いやいや始めてもうまくいかない。とにかく集中しなきゃ、と焦るからだ。焦りはあなたがそこに出現しているからゆえのことであり、あなたがそこにいなければ焦るあなたもいなくなる。時間が足りないとか、間に合わないとか、こんなんじゃだめだと思うことができるのはあなたが出現してからだからだ。そしておそらくはどこかのタイミングであなたが出現して、ああ、もうこんなに経っていると驚くわけだね。まさに我に返るという状態だ。だからなにかをしなければとか、こうでなければ、なんて言うのは、できるだけトーンを落としたほうがいい。そうして取り組むことが、結局のところ一番成果が出るわけだからね。まさに無我夢中で気がついたらたいしたことを処理していた、となるわけだ。
能動的
ところが、能動的になにかに取り組むことは良いことだと教えられてきた。そして自己分析の上であなたに不足している能力や知識を補おうと努力することは美徳だと思っているね。少なくとも何もしないでぼーっとしていることはあまり褒められたことではなくて、目標を設定し、計画を立てて、それを忠実に遂行し、その結果を省みるということが、あなたのスキルや知見を一段上昇させる正攻法だと習ってきたわけだ。しかしながら、そうやってあなたが強く出現してコントロールしようとしていると、たいていはとても疲れてしまうね。そして三日坊主なんてよく言われる現象に陥ってしまうわけだ。今月も目標とか今年の目標なんて設定させられて、それを達成するためにタスクを分解してみると、明らかになるのはあなたの処理能力が圧倒的に不足していることだろう。そしてその処理能力をまずは向上させるための新たなタスクがそこに加わってしまうね。そりゃ目標達成なんて夢のまた夢となってしまうわけだ。挙句の果てには、状況が悪いとか環境のせいだとか、もう言い訳を考えてしまう羽目になる。
受動的
ところが、何度か経験済みだろうけれども、思わぬことでそれが楽々クリアとなることがある。それは先の、我関せず、のときが多いわけだ。気がついたらそうなっていた、という状況であり没頭と集中が圧倒的に体現できたとも言える。そしてそれはあなたはその現場にいるけれども、あなたはそれをあまり認識していない状態だった。すなわち夢中であり、そのタスクとあなたが一体になって、まるで溶けてなくなったかのような状況とも言える。そしてふと気がつけば目処がついていたわけだ。だからすべては計画どおりでもないし、あなたの根性でも耐性でもないわけだ。まずはそうした実現がそこにあって、その後であなたがそれを認識している。それをまるであなたの手柄のように感じているけれども、じつはあなた以外の要因によってそうなっただけのことなんだね。もちろんあなたがそれを思ったという事実はあるけれども、だからといってあなたが何かをやったわけでもないし、特殊な能力が急に身についたわけでもない。まさしく気がつけばそうなっていた、というのが、敷いて言えば、あなたの特殊能力だとも言えるわけだね。
