移り気
思うがまま
あなたはいつも何かを我慢して、自らを律することが苦痛に感じていたかもしれない。しかしよく考えてみればそれは本来の苦悩ではなく、あなたがそれを選んでいるわけだ。なぜならその裏側の究極の目的にはあなたが得するからそうしている。もっと言えばそこまではいかないかもしれないけれども、損はしないという打算がそこに隠れているね。だから、本当にやりたいことがあればあなたはそれをやればいいだけのことだ。何に対して損得を勘定するかによって、それは損でもあり得でもあるわけだ。すなわち損得なんていう計算はあまり役に立たないということを示唆している。あなたの社会的な立場やプライドが邪魔して霧がかっているだけであって、やりたいことをやることで充実感を得られるのならばそれを得だと思うのか、それともそれを捨ててまで体裁を保つことを優先していい気分でいられるのを得だと思うのか、ただそれだけの違いでしかない。なのに一方では苦痛で顔が歪んでしまうわけだし、他方では笑みがこぼれる瞬間があるけれども、評判が下がってしまうという天秤だね。
評判
それほどまでにあなたが他人からの評価を気にしている根本はどこにあるのだろう。それは、あなたの尊厳がそこで担保されると思いこんでいるからだ。もちろんその裏では陰口の一つ二つは囁かれているのも知ってはいる。それでも表面的に気分が良いのならそちらを選んでいるわけだ。そのほんの僅かなあなたのプライドをくすぐられる状況に縛られるがあまりに、あなたの本音を出すのは社会的には損だという判断が勝っている。それも嘘だと知っているにも関わらずだ。そしてその気にしている他人は、あなたのそばにずっといるとも限らず、気がついたら誰もいなくなっている。そんなちっぽけなほんの一瞬の快楽のために、それでもあなたは本音を見せないで、一人苦悶しているわけだ。それほどまでにそれを維持しようというモチベーションがそこに残ったままなのは、一種のルサンチマンであり、その支配から逃れられないなにかがそこに残ったままなんだ。それほどまでにあなたのやりたいことをやらせないという相互作用が社会を形どっているといってもいいね。
心変わり
やりたいことをそのままやるというのは子どもと同じだとか、空気が読めない、すなわち共感力が欠落しているとか、そんなふうに信じている。確かにあなたが傍若無人に振る舞うことを望むのならば、それは多少控えたほうがいいね。ここでのテーマはそうではなく、誰にも特に迷惑をかけてしまわないような好きなこと、例えば好きなアニメのキャラを推し活したり、やってみたい趣味を始めたり、行ってみたい場所へ旅行してみたりすることだ。それらのことでなんら問題が起こるわけでもないのに、なぜその第一歩を躊躇するのかというと、それをうまくやれなかったら評価が下がると思い込んでいるからだ。好きなキャラも飽きてしまったり、趣味を始めてもうまくならなかったり、行ってみたいところへ行くのを失敗したり、そんなことを気にしているだけのことだね。すなわち何でもそつなくこなすあなたであり続けなければならないと自らの掟によって苦しんでいるわけだ。気が変わったりコロコロやりたいことが変わったりするのが本来の姿だというのに、それが露呈した瞬間に揶揄するような人たちになんの遠慮があるというのだろうね。まさに、そういう人の嫉妬そのものがあなたの今の姿とも言えるのだからね。
