探求の旅

日々

そのまま

ある疑問が生じると、あなたは今すぐにその答えを求めて、例えばネットで検索したりAIに聞いてみたりして解決しようとするだろう。でもそれをちょっと待ってみると人生の本質がそこにあることに気がつくだろう。何を言っているのだと思うかもしれないけれども、疑問をすぐに解消できる現代社会において一番大切なことは疑問を持ち続けることなんだ。人生とは問いそのものであり、それが残ったままだから試行錯誤したり、回り道をしたりしてそれとは全く違うことを経験して知見として蓄積していく楽しみなんだからね。いつも遠回りしてうんざりしているかもしれないけれども、そのプロセスそのものが生きるということであり、生まれて人生とはなんぞや、とAIに聞いて疑問が解消すればすなわちその生は終わってしまうね。おそらく生まれた以上はこの世から消えてなくなるという宿命を深く理解したら、それ以上の意味はどこにもないからね。超合理的な判断であれば、タイパやコスパで言うとそれほどこの世に長居は無用となってしまうからだ。

もつれ

そうやって疑問を疑問として放っておくことで、あなたは思わぬ出来事に出会い、楽しむことができるわけだ。もやもやはずっともやもやしていたほうがいいし、できればずっとそのままもやもやし続けることであなたは深い探求の旅に出ることができる。しかしながら現代教育での探求は、期限が決まっているし、その評価が気になるが故に実は予定調和を探してしまうことになる場合が多いね。探求や追求にはそもそもここで終わりという一旦の期限はないものだね。ライフワークと呼ばれるそれらは、90分で結論を出すなんていう決まりはあまりにも短いわけだ。だから疑問はそのまま持ち続けて正解をすぐに得ようとはせず、そのままにしておくことが本来の探求の旅ということになる。わからないことをわかったフリをして誤魔化すのではなく、わからないまま楽しめるかどうかがそれこそ人生という探求の旅を楽しめるかどうかという分水嶺となっているわけだ。だから、すぐに調べるクセはちょっと控えて、今このもやもやを愛しく思って堪能するほうがいいわけだ。

便利さの罠

便利さはあなたに余白を生み出す。だから不便よりも便利な方が優れていると思っている。ところがその便利さと引き換えに今を楽しむという機会を失っていることに気をつけたほうがいいね。確かに便利になれば単位時間におけるやれることがたくさん増えたと感じるだろう。けれどもその一方であなたの探求の旅の機会は失われてしまっている。それは生きる楽しみを放棄しているのと同義であり、あまりやりすぎると人生の本質の大半を失ってしまうことになる。だから結果主義の社会はそういう意味では長続きしないわけだ。成果がすべての評価を決める組織は、その性質が故に短命になるのはそういう仕組みだからだ。求める答えを得られるということは、それは終わりを意味するわけだからね。長続きしたところで、あなたの一生の長さは変わらない。むしろ正解を知れば知るほどワクワクと今を楽しむ時間がどんどん減っているね。そして正解主義に一度陥ってしまうと、それ以外を許容できる余白さえ失ってしまう。もはや探求の旅を楽しむどころか、チートを使ってエンドポイントへ急いで向かうことになる。だからインスタントな時代においてはその逆張りをする人が実は最も幸せを掴んでいるとも言えるね。