大どんでん返し
苦難
あなたは大変な思いをして苦労しているだろう。いつもどちらかというと損をしているし、あなたの思いは誰も受け取らずに、ややもすれば誤解されてしまう。そんな悲劇の主人公で、毎日小言の一つや二つを言いたくなるね。ようやく夜の帳が降りる頃に、今日も一日なんとか乗り切ったなと自らを労って眠りにつく。そんな日々を過ごしている。人によっては仕事でもそうだし、家庭でも面倒を見なければならない子どもたちや親や親戚や友人が待っている。もはやあなたがホッとできる時間は、寝る前のほんの少しの間だけとか、トイレやお風呂で過ごす時間しかなかったりする。そしてそんなすべての災いごとが少しでも解消していけばいいなんて願っている。ところが不思議なことに、ようやく状況が変わってなにかが解消したとしても、すぐさま新たな厄介事がすぐに見つかってしまうね。そして、ああ、いつもこうだなともはや驚くことすらなくなってしまっているわけだ。
鏡
どうしてその状況がずっと続いているのかということを、ちょっと紐解いてみるとすぐにわかるのは、実はあなたがそのポジションを維持しようとしているからだ。厄介事をなんとかこなしていることを演じて、あなたがそこにいる主役として君臨し続けることを願っていると言ってもいい。いやいや、もっとのんびり過ごせるようにと毎日願っているよ、とあなたは反論するだろう。けれどもそれは鏡の映っているあなたであって、本当のあなたではない。そういう苦労を重ねる自分が、いつかはついに願いが叶うというストーリーのための伏線だからだ。そういう意味で願いはすでに叶っているなんてよく言われるわけだけれども、その言葉がいまいちピンとこないのは、それが本質をついているからだね。伏線のための現状を台無しにしてしまう言葉だから、受け入れることができない。そんなことしたらあなたは世界一幸せ者だとバレてしまうわけだ。
世界
この世に生まれた以上、あなたはあなたを受け入れるためのなにかを見つけて、それを認識することで現実だと確定するわけだ。逆に言えばあらゆる事象をすべて受け止めることは不可能だからだ。だからあなたの現実の姿として、苦労しているあなたをわざわざ選択している。まさにそれは選び抜いた理想の姿であって、それ以外にも無数にあるというのにあえてそれらはスルーすることであなたの世界ではないものとして扱っているわけだ。そしてそれはあなたがそれが心地よいと感じているわけは、無意識的にも対極にある幸せいっぱいなあなたを感じ取っているからだね。本当に生きる意味を見失って不幸のどん底であるのならば、幸せなんていう概念すらないはずだ。けれども実のところはその両方をよく知っているからこその、あえての不幸の主人公とも言えるね。そうやってあなたが実のところ幸せでありそうなることを予感しているからこその、現状を自らが構築しているわけだよ。
