連鎖する小言
小言
どうしてもあなたが言いたくなった小言を考えてみる。例えば全く言うことを聞かない人に対して、なぜきちんと受け止めてくれないんだとか、それはだめと子どもに注意することは、あなたがそう誰かに言われたことだったりするね。言うことをきちんと聞き入れるとか、やってはだめといっていることに素直に従うこととか、そういうたぐいのあなたの価値観は、かつてあなたも誰かにそう言われたことばかりだね。すなわち、あなたがやりたくてもやれなかったこと、あなたの意見を取り上げられて正されたことがベースになっている。そしてそれは伝承していくかのごとく、やめなさい、ききなさいと我慢させられたことばかりをリピートしているだけのことだね。かつてのあなたは夢中になっていることがあった。けれどもそれは今やるべきではないなどと理由を押し付けられて、泣く泣くそれを手放したものたちばかりであって、それをやっている人に対するある種のの恨みがそこにあるわけだ。そしてあなたはかつてあなたもそうされたように、もっともらしい理由をつけて、それを愛情という姿かたちに変えて繰り返している。
気づき
しかしながらそれは、あなたがされたことをオウム返しのように繰り返しているだけのことで、本質的に深く納得していることばかりではなかったりする。もちろん、それによって助けられたという実感があるものもあるだろう。しかしながらそれはあなたがそれを強制的に聞き入れたものではなく、あなたの追体験によってあなた自身が発見したものだね。ということは、どんだけ誰かに何かを言われたとしても、あなたが本当に受け入れられるそれはあなたが咀嚼して消化したものだけだね。そしてそれは言われたからわかったわけではなく、そのときは聞き流したことがあとになってあなた自身と同化したものだ。それを気づきとよく言われるわけだね。そんなことあなたには関係ないとスルーしていたそれが、あなたの世界にしっかりと根づいた何かのきっかけによってでしか、あなたの世界に取り入れられることはなかった。おそらくその瞬間にあなたの世界が一変するわけだね。あなたの固定観念にヒビが入る瞬間であったともいえるだろう。そしてそれは小言を聞いた時とは幾分タイムラグがあるね。
同化
深く理解したとき、あなたはそうだったのか、と驚く。そしてそれは、あなたの旧来の飲み込めずに丸呑みしていた観念を書き換えるわけだ。だからそういうものだと言うことをまずは忘れないことが大切だね。誰かに対してなにか小言を言いたくなったとき、それはあなたがかつて取り上げられたことかどうかをチェックすることをおすすめする。そうするとあなたがかつてそれをされたときの記憶が蘇ってくるだろう。それでもつい言ってしまったならば、あとにこう加えればいい。あなたもそうだったけれどね、と。言うことを聞かない子どもだったし、だめだと言われたら言われるほどやりたくなったね。反対されることに反抗して、やってみないとわからないと頑なにやり続けたりした。そしてそれらはすべてうまくいかなった。ほら見たことかと言われて辛酸を嘗めた経験から、どんどんそれらをうまく解消できる術を身に着けてきて、今があるわけだ。そしてそれは振り返ってみればすべてあなたそのものとなり、すべては必要なプロセスだったんだと知っている。あなたが同じことを繰り返さなければ、その苦悩の連鎖はそこで止まるのだからね。だから何も心配しなくていいわけだ。
