リベラルアーツ
アウトプット
インプットだけを意識しても、それはあなたの血肉にはならない。むしろインプットすることばかりが義務化されてしまうと、それが結果となってしまうからだ。どれだけの本を読んだとか、どれだけの学習をしたとか、そういうことで満足してしまう。貯金額が記載された通帳を見てにんまりとしているようなもので、それをどう使って次に繋げるかという部分が完全に抜け落ちてしまうのと同じだね。さらに本来の意味でのインプットの価値を保つためには、読了しただけでは消化しきれないわけで、それを実践に持ち込むところまでやらないと単なる知識となってしまうわけだ。知識はどれだけ集めても知識のままであり、屁理屈をこねる材料となるだけで実用性はほぼ皆無だね。そうではなく、それらをヒントにして次のアクションに結びつけての体験に繋げないと、血肉にはならないのだから。だからインプットの量を意識するのではなく、それらをどう応用するかという視点が大切なんだ。
消化不良
見聞きした知識だけで、例えば何かを批評するにもそれは伝聞体で話すしかなくなる。あたかもあなたが体験したかのように言うとしてもその説得力はゼロだ。しかしながら、愚直にやってみてうまく行かなかったとしても、その体験はあなただけの唯一無二の知見となる。そしてそれはもはや知識でのうんぬんを超えて、大いなる説得力を持つわけだ。実際にあなたが大失敗した経験なんていうのは、どの書物を読んだとしてもあなたにしか書けないものとなる。そしてそれを踏まえてのあなた独自の判断こそが、そのインプットの効果だと言えるね。だから、読書量がどれだけとか、学習時間がどれほどだとか、そんなものは誰に心にも響かないのは当然だね。そんなことよりも、実践したあなたのその体験こそが、一番の参考になるわけだし、あなたのかつての先人たちのそれらも古典として未だに価値があるのもそういうことだ。
ビジネス書
だから、最近流行りのビジネス書なんていうのは、一番読むに値しない。それは、その人の最近の成功体験でありそれ以上のなにかはそこには含まれようがない。その原典にあたってのリベラルアーツを豊かにすることがあなたの失敗談をより深く追求することができる。その人はそうだったという情報ばかりに右往左往しても、あなたにとってのそれはその原典に戻らないと追体験ができないからだ。感想文をいくら読んでも原作の機微に触れられないように、なぜそれをすると決断したのかという根本を探ることが大切だね。だからあなたの資産になる情報はネット上には皆無だとわかるだろう。それは単なるエピソードトークであって、随筆よりも価値がない。なぜそれをやるのか、そしてそれをやろうとしたのはどんなことをベースにしているのか、そういうことが一番インプットすべき情報であり、あなたが今必要としている基本思想そのものなんだからね。
