もっともらしさ
こだわらない
あなたには確実に好みがある。そしてそのために様々な犠牲を払うことを恐れないだろう。ちょっとしたことだけれども、これはこうであってほしいという思いから、すべての行動が始まっているわけだ。大げさに聞こえるかもしれないけれども、例えば単なる朝のルーティンで、顔を洗ったり歯磨きしたりする順番など特にどっちでもいいはずなんだけれども、必ずあなたにとってしっくり来る順番でやっているね。もちろん時にはそれが入れ替わることもあるだろう。けれどもそんなときはこっちでもいいとは思いつつも、次は元に戻そうと思ったりする。だからおおよそその順番は変わらなかったりする。何かを変えようとするときは、それを吟味してどっちがいいか、なんて改めて考えてみたりする。けれども、どっちでも良いと思いつつもなんとなくしっくり来る順序に落ち着いているね。無意識にやっていることだとしても、実はあらゆるところで同じようなことが起きている。あなたにとっての心地よさはそんなふうに決まっているわけだ。
根拠
それらには確固たる根拠などない。もちろんそれはどうしてか、と考えた瞬間にその理屈は生まれる。それまではなんとなくそうしていたわけだからね。そしてそのほうがふんわりと落ち着くというか、そういうものだという固定観念が確実にそこにあるわけだ。でも逆にしたり、いっそのこと省略したりしても特に大きな問題は起こらない。そのうえで一番大きな問題といえるのはあなたがしっくりこないという点だけだ。根拠もないそれは、どうしてそうするのか、という言い訳を必死に生み出すエネルギーさえ持っている。ところがどうにもこうにもそれすらも浮かばないことであったとしても、気持ちいいからそうしているという根拠のようでそうでない感覚が一番の理由となるね。誰かに合理的にうまくは説明できないことを探してみると、びっくりするほどたくさんあったりもする。だってそれが普通というか、当たり前だと思いこんでいるからだね。あるいは、どっちでも良いのなら好きな方をやらせてよ、と思っているのだからね。あなたのほとんどは実はそういう後付けの理由でできているわけだ。
違和感
そういう直感的に好む方向へといつも舵を切っている。それがなんらかの事情でできなくなったとき、あなたは進むべき方角を見失ってしまう。ちょっとした混乱に陥ってしまうわけだ。単純に顔を洗ってから歯磨きするのが好きなんだけれども、歯磨きしてから顔を洗うことを忘れていたことに気づくわけだ。あれ、なんだかちょっと様子が変だぞ、とそこで違和感を感じてしまうね。もちろん優先順位をつけてできるだけ合理的に行動しようとしているから、それらがどこかで変化することはある。そしてそれがベストとまではいかなくてもベターだと判断した瞬間に変更することはあるわけだ。でも、それがわかったとしても気がついたらまたもとに戻っていることがある。それほど大差ないことであれば、好きにさせてよ、と思う瞬間でもあるね。実はそれほど理屈通りにあなたは行動しているわけではないわけだ。無理とか無駄とか面倒だというクセがあるものの、それらは合理的にそう判断していることは稀で、実はどっちでも良いことに対して好みを表明しているだけだね。そんなときはあなたはもっともらしい嘘をついている。それは誰かではなくてもあなた自身に向けてのものだね。
