雨はどこに降っているのか

日々

ずっと降り続く雨の日。あなたはそれを恨めしく思う。雨が降ればあなたの行動範囲に制限が必然的にかかってしまうからだ。特に楽しみにしていた旅行中に雨が降れば、なんだかついてないなんて思ったりもするだろう。明日は久しぶりにお出かけしようと計画していたのに、当日に急に雨が降れば、なんて日だと嘆いたりもするね。でも雨は次の晴れている日のための準備でもある。あなたにとっての欠かせない水がこの地球という星で循環しているだけのことだ。ずっと晴れている日が続くと、乾燥して火災が起きたりいろんな不都合も起こるんだけれども、あなたにとっては雨は憂鬱な日だと感じているのは不思議なことだ。晴れる日のために一旦雨として還元しているだけのことなのに、あなたはその現象だけを見て良いとか悪いとか感じているだけのことだね。雨が振るから晴れる日もあるわけだし、その逆も真である。理屈ではわかっているつもりだけれども、こんなときに雨が降るなんてなんて勝手に思っているわけだ。雨は恵みでもあり、雨は晴れる日のための準備でもある。そう思えるかどうかで、余計な不安から逃れられることができるというのにね。

独断

雨を降らせているのは、実はあなたの心だということに気づくだろうか。結局のところ晴れる日もあれば雨の日もあるのは自然なことだし、あなたは自然に対してあーだこーだとその時の気分によって判定しているだけのことだ。雨自体は良いとか悪いとかはないにも関わらず、あなたの都合によってすべてを判断してしまうクセがそこにある。あなたは雨を恨めしく思うときもあれば、なんてことのない自然現象だと受け入れることもできる。すべては雨そのものがどうだとかということではなく、あなたの心向きがそうしているだけのことだ。雨でも楽しめるし、雨を喜ぶことすらできる一方で、雨を憎しみ、雨を恨めしく思うこともできる。そういう意味では全くあなたは自由であるということでもあるね。それは誰かを批判するときでもそうだし、良い悪いの判別をするあらゆる出来事にも当てはまるわけだ。あなただけがそう思っているだけのことで、例えばその恵みを待ち焦がれていた農夫もいるわけだ。だからあなただけの狭い世界で何かを決めつけることをやめれば、毎日は幸せであることに間違いないわけだよ。

ちっぽけな願望

成功と失敗にしても同じことが言えるね。あなたがやりたかったことができなかったというだけで、あなたは不幸になることはない。たまたまタイミングがそうだっただけであって、それ以上の意味はそこにはない。それをあなたは特別視しているだけのことであって、他の誰かにとってはどうでもいいことばかりだ。もちろんあなたが何をどう思うかなんていうのは完全に自由であり、どう捉えるかはあなたにすべてが委ねられている。であれば、あなたがいつものクセで良いとか悪いとか思う判断基準をもう少し広げてみれば、すべては自然でありすべてはありのままに起こっていることに気づくだろう。あなたが画策しているなにかは、その場合は全く小さなことであって、自然という大いなる流れからすれば取るに足りないことでしかない。だからこそあなたの意図通りには何事も進むことはなく、そう来るか、という想定外のことが起こり続けるわけだ。それを面白がることができるかどうかであなたの世界は一変する。うまくいくとかいかないとかなんてどうでもいいことで、その場に立ち会えた奇跡に感謝するしか術はないね。