勘定よりも感情の時代

日々

決断

AI時代において、知識や正解など情報分析はほぼあなたの能力を超えている。もちろん、まだまだ素っ頓狂な回答をするAIは可愛いものだと笑って見ている部分もあるだろう。ちょっと大人びた幼子のような感じで愛おしく見守っている状況もある。しかしながらそんな幼子も気がつけば立派な青年となり、受け答えもあなたが唸るぐらいに成長していくことは容易に想像できるね。もちろん、完璧な人がいないように、AIといえども所詮人間が生み出したものであり、限界は確実にある。だからこそあなたがすべきことはAIにできないこと。すなわちそれは、経験でありそれによる決断だね。AIにこの先の確率を数値化して表してもらうことは今でもできる。けれどもそのデータを元にそれでも挑戦し続けるのか、それともきっぱりとやめるのかを決めることはAIにはできない。それができるのは、それを元にして自らの知恵を発揮して決断することができるあなたしかいないわけだ。これはこの先どれだけ技術的な革新があったとしても、あなたがする最後の行動となる。有能な友人としてのアドバイスをどれだけもらったとしても、これまでとそこは同じだね。

正解主義

そう、有能な友人が詳細なアドバイスや助言をしたとしても、実際にそれを実行に移す役目はあなたしかいないのは変わらないということだ。そしてそれはそのデータが客観的であるがゆえに、主観的なあなたがそれを総合的に判断せざるを得ないのも変わらない。逆に言えば、AIの言いなりになることもできるけれども、成功確率を何%で継続か撤退かを判断するのはAI任せにはできないね。数%なら早々に撤退すると決めるのか、それの内容によってはそれでも少しの可能性に賭けてみるのか、そういう判断と行動は委ねられたままとなるわけだ。そして、そのとおりにして首尾よく大失敗を免れたとしても、ならそこからどうするのかをまた逡巡する主体はあなたでしかないね。客観的なデータはあなたが主体的な直感なり感情なりを保ち続けることで有効になる。あなたがそれを放棄してしまっては、結局のところAIを活用できるどころか、なにもかも振り回されてしまっているだけで、結局のところ今と何も変わらない状態となる。だからこそ決断する力が重要となる時代が到来しているわけだ。

苦難

そういう時代において、多少の困難や苦難を乗り越えた経験が物を言うわけだ。さらにはAIがわからない実行と決断の決め手となる客観的なデータ分析よりも、そのときの感情や周りの人の表情やそれにより心の動きが読み取ることができる力こそが肝となるわけだ。なんだ、蓋を開けてみればAIという技術的な革新の扉が開いた現代において、さらにノンバーバルなコミュニケーション力が決定打となる。泥臭い人と人のぶつかり合いや小競り合いの勝ち筋がわかっている人がこれからは成功者となるなんて、技術やデータ分析の時代などともてはやされているのに、なんだか逆行しているように感じるだろう。人類の叡智が誰でも瞬時に取り出せる時代においては、結局のところ生存本能的な苦しみを乗り越えた経験こそがものを言う時代なんだからね。でもあなたの専門性やこれまで経験や勘や度胸などがより有効な条件となるとすれば、これまで以上に、大失敗をして泣き笑いを繰り返す必要があるということだね。もはやデータや状況証拠などのせいにして逃げることすらできなくなった時代がやってきているわけだね。