数値の向こう側

日々

主役

あなたがもちろん主役であって、それ以外のことは脇役である。だからあなたがそのうちのどれを重視するかは、最終的にはあなたの判断となる。すなわち、データに振り回されてしまったとしても、その決断をしたのはあなたの責任だということだ。だからどんなことが起ころうとも、最終的な責任はあなたが引き受けるということになる。しかしながら現代社会では、その責任を引き受けることを避けるがために、データや主体ではない客観的なデータやエビデンスに依拠してしまう傾向にあるね。だから、データ分析ではこれが正しいという判断だった、なんていう言い訳をすることができるように、あなたをできるだけ消滅させているわけだ。私が決めたわけではなく、データがそういうエビデンスを示唆していたのでその他の選択肢は考慮する余地はありませんでした、なんていうもっともらしい嘘をつくことができるようになった。そう、すべてはAIだのエビデンスだの、そのときの潮流だっただのにすることで、あなたの責任を少なくしているわけだね。

客観

データは数値化した傾向であり、それをどう読み取るかというのはあなたという主体が行うものだ。それを誰かのせいにするためには、あなたは数値というものを見つめてはいるけれども、それを見て現状分析をどうしたのかという点においては判断を委ねている。トレンドとして減少しているのは、そういう状況下であることを示唆しているわけだし、その上でさらに追加投資を行うのか、潜在需要を喚起するののか、それとも撤退するのか、なんていう経営的な判断を下すわけだけれども、それを誤ったときの責任はずば抜けて大きい。だから、他の例や事案を鑑みて、多くの場合に実施される対策を取るという結論が出たような出ていないようなぼやかしの施策を打つ傾向にある。それで現代は賃金も上がらないし資産運用も適切な投資もできず、内部留保だけが肥大化しているわけだ。誰もがその決断を見送ることで、結論を後回しにしているのは、そういうことだね。むしろこんな予測不能な社会においては、過去のデータから分析できることは何一つなく、だったらどうすると突きつけられる決断が求めらている状況において、そんなことやったことがないわけだから仕方がないかもしれない。

数値

数値だけを見て、何かを判断するときなんとなく心のどこかに引っかかりがあるのは、なんとなくその数値の意味をわかっているからこそのことだね。すなわち、数値化するために捨象されたいろんな文脈があるという事実を知っているからだ。単に売上が減ったとか、利益率が悪化したということのコンテキストはそれほどシンプルではない。数値化するとわかりやすいというメリットと引き換えに、複雑な文脈や背景が見えなくなるというデメリットもあることを本能的に察している。そこでその傾向を分析的に掴んだうえで、さらにその文脈や背景についての考察が求められるわけだ。それは直感的に感じたり、言葉にはならない何かであったりするわけだ。そこは見える化できない部分でありビジネスでは一般的にはタブーとされる感覚や感情という部分となる。しかし、データだけでなんとかしようとしても、結局のところそのとおりにはならない経験もしている。どうにかこうにか当てはまったのは考えてみれば、変化の少ない時代の一瞬だったということがわかる。少なくとも過去のやり方が通用しない時代においては、旧来の方法で数値化したものはあまりにも乖離が大きくなっていくだろうね。