流れるあなた
大成功
あなたは間違いなく大成功を収めている一人だ。そう言われたとしても、あなたは自分の思い通りに何一つうまくは言っていないと思っているだろう。しかし、あなたが思うあなたの正体は一体何者なのかを考えてみたことがあるだろうか。そうあなたが思っているあなたは本当のあなたではなく、誰かにそう思わされていた偽物のあなただとすれば、あなたはあなたではないということになる。ちょっとややこしい話になってしまうかもしれない。けれども、実際のところあなたがあなただと思っているそれは、本当のあなただと証明することなんてできないわけだ。すなわち単純化すれば、あなたはあなただと思いこんでいる虚像でできているわけで、本来のあなたはあなたすら知らないということになる。だからその虚像のあなたが思っている通りになっていないから、望みは叶ってはいないという判断基準もどうやら怪しくなってしまうわけだね。そう、あなたがあなた自身をそもそも勘違いしていたとすれば、思い通りというそれも本来のあなたの望みとは全く違っていると言ってもいいわけだよ。
幸せの形
すなわち、あなたは実はあなた自身を全く誤解しているとも言える。もちろんそれに気づくには相当の分析がないとわからない。だって誰かに吹き込まれたあなたという個性をあなたはずっと信じ続けているわけだ。しかも自然になぞらえて考察してみると、変化しないものなんて何一つない世界において、あなただけはなぜかアイデンティティとか個性とかという言葉によって変わらない存在だと信じ込まされているわけだからね。いろんなものが諸行無常、常に変化し続けているわけであり、あなたは化学の知識で、あなたの体においても細胞のターンオーバーでどんどん入れ替わっていることは知識として知っているはずだ。それなのに、なぜか生まれてこの方あなたというなにかは統一性があって、何も変わらないということを受け入れている。歴史を紐解いてみても、かつての時代においては年齢によって名前が変わり、役職によっても呼び名は変わったわけだ。それは自然の一部としてのあなたを体現するに適した方法だった。しかしながら今日ではそうやってあなたが変わることによって呼び名も変わるということをなぜか強く拒絶している変な時代だとも言えるね。
潮流
そういう意味ではとても不自然な時代でもあり、あなたというアイデンティティが固定化されないと社会的に認められないという不自由な世界を生きているとも言えるね。昨日そう思っていたことが、立場や役割が変われば考えも所作もそれに合わせて変化することが自然であるにも関わらず、あなたはどこかの幼き日の記憶を元にあなたを再構成し続けているわけだ。写真や過去の思い出を引っ張り出してあなたとはこういう存在でありたいという願望もそこに加わってしまって、実はあなた自身もそれを完全に表現したり説明したりすることすら困難になっているはずだ。それが証拠にあなたは何者かと問われたとき、はっきりと断定できる人はおそらく皆無だろう。それぐらいあなたがあなたであるという考えは無理があるわけだ。川の流れのようにあなたも様々な状況にフィットして、変化し続けていることが一番の自然の姿であり、その自然の中に包まれているときこそが一番の幸せの中にいることはずっと前から知っているというのにね。それが架空のあなたのぶつかることで本来は不要な苦しみを背負い込んでいるわけだよ。
