この世のすべて

日々

達成感

あなたはなにかをやり遂げたと思うが故に、それに伴う充実を手にする。そのときのことを達成感とよんでいるわけだ。けれどもあなたは何もしていない。そういう認識はすべてあなたという自我がそれを生み出しているだけのことだ。例えば、一日が終わるとき、あなたは寝るわけだけれども、寝るという行為そのものは実はあなた自身は認識できない。眠っているのだから、あなたはそこにいないわけだ。けれどもその前に寝る準備をしたり、ストレッチをしたり、呼吸を整えたりする行為までは認識できている。しかし本当に眠ってしまうその瞬間までのことだ。すなわちあなたが寝る状態を生み出したいと思うからそれが体現しているだけだとも言えるね。ということは、あなたが望むことが自我であるのならば、ぶっちゃけあなたの思うまますべてがこの世界に現れているだけのことだ。すなわちあなたの世界とは意識そのものがそこに投影されているのだからね。

疲労

そういう意味では、今日はとっても疲れる日だったという実感もそうだ。もちろんあなたの肉体に意識が向いていて、節々が痛かったり、筋肉痛を感じているからこそそう思うわけだ。けれどもそれもあなたの自我が肉体に向けてそう認識している状態であって、実際にそれが本当だとかどうかは、実は確認する術がない。いやいや、とにかく今日あなたは頑張って無理をしたのだから、こうして痛みすら感じていると思っているだろう。それは疲れを再現しようと意識がそうしているだけのことであって、特に今日ではなくてもそんな状態はいくらでも経験があるかもしれないね。そこに多少の不整合がある場合は、今日は特になにもしていないのに、なんだかとっても疲れた、なんて思うときもあることからわかるね。疲労という感覚は、絶対的になにかを表しているフィジカルイシューではなく、やはりあなたの自我がそれを呼び起こしているわけだ。

スーパーマン

だから、疲れ知らずのスーパーマンがたまにあなたの眼の前に現れるわけだ。この人はこれだけの仕事をして休んでいる気配がないのはどういうことだろう、なんて不思議な存在だ。でもそれはあなたの自我と現象とのズレがそこにあるだけのことだね。疲れたと思いたい自我が、あなたを疲れた状態にいざなうわけだけれども、それが当てはまらない逸脱した存在となる。ということは意識というよくわからないものが、あなたもその彼もそう思いたいが故に生み出しているなにかであって、意識さえあれば、個性的なあなたも、いつも通りのあなたも、よく眠れたという感覚も、大きな疲労感も生み出しているだけのことだね。とにかくあなたという枠組みは意識がまさにあなただけの意識だよと騙しているだけのことで、実はあなたすら実在しないということになってしまう。あなたは特別だという想定で生み出されているわけだから、何を言っているのかわからない状態も、全部意識の仕業だということなんだよ。