競争と洗脳
勝ち負け
あなたは気がついたら勝ち負けの世界にどっぷりと浸かってしまっている。でもあなた自身はそれを自覚はしていない。ここがポイントで、無意識にあなたの判断基準がそこにあるわけだけれども、あなたはどちらかといえばそんな世界を忌み嫌っていると思い込んでいる。でも実際はあなたが気が付かないうちにその価値観に振り回されているわけだ。例えば、あなたが誰かと比べられてうんざりしている。そのことによってあなたは右往左往させられてるし、何なら災いごとのほとんどはその「比較」が犯人なことも知っているね。まさに優劣や勝敗という価値観はそこに根付いているわけだからね。ところがそれで傷つくとか喜ぶとかという感情のベースになっているからそうなるわけだね。なにかと全く比べることがなければ、単なる違いとなり、そこに余計な価値が生まれることはない。あなたはあなたである以上、誰かとはどこかが異なるのは当然であり、むしろそれがあなたを司っているわけだ。けれどもその違いによって劣等感や優越感を少しでも感じてしまうのならば、やっぱりあなたは影響を受けていると言って良いだろう。
優劣
何を持って優れているとか、何を持って劣っているとかは、例えばとてもわかり易い例で言うとテストの点数だったり、かけっこの速さだったりするわけだ。物事を限定された条件下において、比べると結果が数値化、記号化されてとても比べやすくなる。今はひどい社会で、仕事の成果や結果のみで査定されてしまうような組織も多い。だから仕事でできる人は結果が良好であり、仕事ができない人はその結果が芳しくないという区別になる。単にそれだけでまるで全部が語られる節があるわけだ。けれども比べるためには、ある特定の限定された条件下でしかできないこともまた事実だね。漢字テストでどれだけ読み書きができるかというのは、その一定の問題においての結果となるわけだし、仕事ができる、できないにおいてもある作業とそれによる目標に達する度合いによるわけだ。そんな制限下の比較をいくらやったところで、あなたという価値がすべてを測ることなんて不可能だね。もっと言えば測りたい人が測りたい内容によって競わせることで、測りたい結果を増やすための方便として使われているわけだ。
土俵
だからそんな土俵に立つか立たないかすらも実はあなたはコントロールすることができるはずだ。しかしながら、生殺与奪を握られているからそれすらも困難だと思っている。子どもたちは学校の先生に、大人になれば組織の長とかになるだけでいわばその構造にずっと身を委ねる人生を送っているわけだ。だから、あなたは理不尽なことにも耐え忍び、誰にも見られていない一人の時間を切望するような人生となる。そしてあなたが思わぬ評価を与えられてしまったときは、あなたもつい誰かと比べてしまうわけだ。ややもすればその社会構造にどっぷりと浸かっているからこそ、恨みや嫉妬が芽生え、呪いの言葉を使ってしまったりするわけだ。さらに夜の飲食店での会話は、誰かよりもどうだとか、あの人よりもあなたのほうが、だとかという話でもちきりとなっているわけだね。自尊心や自己肯定感をうまく育むことができる環境にずっといられなかったが故の、結果がそうだと言わざるを得なくなるね。そうやって一番得をしている人は誰かを見抜く力を育むためには、社会の構造の変革と教育の刷新が一番重要になるわけだよ。
