なぜ働くのか
遊び
あなたも幼い頃は1日中夢中になって遊んでいた経験があるかもしれない。ところが遊びは子どもの頃だけの特権で、次第に成長するにあたって遊んでばかりではいけないという風潮が強くなってきたわけだ。いわゆる社会人と呼ばれる世代になっても1日中遊んでばかりいては、そろそろ真面目に働きなさいと言われてしまうだろう。さらにあなたもいい歳してもまだ趣味やゲームに没頭している人をやや蔑んで見ているね。とはいえ一方で、働くことに喜びを見出している人は少ないのは不思議なことだ。仕事は苦痛であり、苦痛であるからこそ対価、この場合は給与が支給されると思い込んでいる。逆に楽しいことばかりしていては、生きる糧を得られないどころか、日々の生活も困窮して誰かに迷惑をかけてしまうので、悪いことだとも思っている。これらは世間でいう常識だと言っていいだろう。けれども本当にそうなのだろうか、という問いに真摯に答えられる人は意外と少ないね。
働かざるもの
少し生物的な歴史を振り返ってみれば、食べるために狩猟採集生活から、米や小麦などの穀物を育てる生活に変わったのはせいぜい1万年前ぐらいだね。それまでは、まさにその日暮らしで、餓死しない程度に餌を取るために働いていたわけだ。そこから安定的に食べるに困らない方法を発見したのが、定住農耕生活となる。穀物類はある程度貯蔵することができるので、働けば働くほどその収穫量が増えるわけだ。もちろんそれも自然相手のことだから、思ったように収穫できず不作の年もある。けれども、動き回る動物を狩猟で首尾よく捕まえることよりも、より安定的に暮らすことを選んだわけだ。おそらくその時に仕切っていた人が、労働は美徳だと吹き込んだに違いないわけだ。そこからが今の社会の原型が生まれたわけだ。貧富の差が身分制度や地位の差ができ、土地から移動しないようにお家制度や戸籍が生まれ、収穫量に対する税を決めるために記録される文書が生まれたわけだ。そもそも人類がこの世に暮らし始めてからの年月からするに、ここ最近だと言っても良いぐらいのものだね。
豊かさ
その後に物々交換よりももっと効率的な代替手段が生まれる。それが貨幣だね。貨幣の始まりは、例えばお米どれだけ分、なんて書き記したメモのようなものだっただろう。西洋では金を主軸としてその金の預り証のようなものらしい。直接お米や金をわざわざ交換相手に持ち運んで、その場でやりとりするよりも使い勝手がいいわけだ。そうして貨幣制度があちこちで普及し、現代では外為市場で刻々とその値が変化する時代となっているのは御存知の通りだ。その値が変わるたびに喜ぶ人と悲しむ人がいるわけだ。そうして貨幣がメインキャストとなってお金もちが豊かさの象徴となって久しいわけだ。けれどもそれもせいぜい数百年前ぐらいに始まったことで、人類史から言えばつい最近のことだとも言える。だからあなたはなぜか子どもから大人になればどこかの会社や仕事によって、何にでも変えられるお金を得るために働かざるを得ない状況になっている。それは仕方なくやっている人が多いにも関わらず、部下や同僚の働きぶりを評価しているわけだ。どう考えても働かないで生きていけるのなら、それに越したことはないはずなんだけれども、あなたはどう思うかな。
