遊べない子どもたち
合理性
子どもの頃に、学校から帰ってランドセルを放り投げ、外遊びへいそいそと出かけた経験があるだろうか。おそらく年配になればなるほど現代のようにネットもスマホもなく、情報源は新聞やテレビ・ラジオぐらいで、ゴシップ記事は週刊誌ぐらいしかなかった。そして妙な噂で話題は持ちきりだったね。それを自慢げに語るぐらい情報は少なかった時代だと言える。けれどもそんな世代もどうにかこうにかスマホを操り、ネットニュースや好きだった漫画や音楽を楽しめるぐらいにはなっている。そして、めったに撮れなかった写真を取ったりして楽しんでいるわけだ。一方でこの国の若者の諦めの早さとタイパやコスパなんていうよくわからない判断基準と極端な合理性に違和感を感じている。まぁ、今はそういう時代だからとなんとか折り合いをつけて、だましだまし生きているのが高齢者の全体像だろう。そんな時代において、不確実なものは忌み嫌われる傾向にどんどん偏っている。計算可能で、予測可能なインスタントに結果が出るものばかりに目を奪われている。
不確実性
実は自然相手に遊んでいた時代に学び取ったことは、近所のガキ大将と折り合いをつける方法であったり、2つしかないブランコをどうやって大勢の子どもたちで楽しむことができるかとルールを決めたり、ちょっとした揉め事や喧嘩は日常茶飯事で、なら明日はあなたが楽しむ番だと取り付けたところで、実は雨が降ってそれも叶わなかったりしたわけだ。雨が降ったからといって順番はそう簡単には変えられず、そこで不合理な事象は常に起こると学んだわけだ。なんでも誰かがやってくれたり、自分のほぼ思い通りになる時代では、ちょっとしたトラブルに心が耐えきれずにすぐに折れてしまう弱さが露呈する。たくましさという部分ではどんどん削られて、小賢しさばかりが鼻につく子どもたちが大量生産されている。直ぐにできるようになります、とか今からでも間に合います、という宣伝文句が街に溢れ、それ以外は無価値だし努力もある程度までで十分で、いわば成功者の添え物のような扱いに変わってきた。苦労なんてしなくても人気者になれる方法ばかりが、人々の惹きつけるようになった。
ルサンチマン
それはすべてお金が解決してくれるものだということにすり替わったわけだ。だからこそ残念ながら未だに詐欺事件は減るどころかむしろ増えているのもそのせいだね。秘密の裏技があるという自然に反した理屈に翻弄されるのもそういうわけだ。頑張らなくても今すぐに幸せになれます、なんていう言葉に反応するのは、実はそういうことがあるとどこかで期待しているからに過ぎないね。さらに言えばそんな苦労や苦痛を避けているに違いないとどこかで疑っているからこそ、自分だけが損をしているなんていうルサンチマンに日常が支配されてしまっている証拠でもある。うまいこと折り合いをつけてやっている誰かを見つけては、きっとそれには裏があると色づけてしか直視できないわけだ。だからこそなんの曇りもまだない子ども時代の、二度と手にできない時代において自然としっかり戯れて遊ぶという時間は、大切に過ごすべきだろう。そんなゴールデンタイムにくだらない塾や習い事に染められた子どもたちが偏った社会を好むようになるのはそういうからくりなわけだよ。
