配役

日々

コスト

何をするにもコストを計算しないとうまく行かない時代となった。だから無駄なコストを洗い出してそれをできるだけカットすることに躍起になっている。それだけコストに敏感になったわけだ。けれども、それはあくまでも見える範囲だけであって、見えないコストまでカットできる能力は限られた人だけのようだね。現代社会では物価が高騰し、ものやサービスの値段が上昇しているにも関わらず、人件費はそれほどあげないままでいる。企業にとっては利益を確保するためにそれが正解だとされているけれども、従業員と呼ばれる消費者にとっては苦しい選択となる。ものやサービスの値段が上がった分の、給料も同じだけ上がらないと同じ生活を維持することができないからだ。労働力の再生産がそこで阻害されてしまうのなら、結局は従業員のモチベーションや能力を十分に発揮することができなくなって、そのズレというか差分が経済活動を失速させてしまうわけだね。どこかや誰かだけ得をしようとなんとかやりくりしたところで、実はなんともならないということを示唆している。

最適化

経済活動をうまく回すためには、消費税をどうこうするとか、賃金を無理やり上げるとか、とりあえず補助金を出して誤魔化すという施策はすべては焼け石に水となるのはそういう仕組みだからだ。結局のところ誰かにしわ寄せがいくだけで、そのズレでなんとか回っているように見せかけるだけのことでしかない。その時間差でうまく逃げ切ることができれば政治的には大成功だと言い張って去るだけのことだ。その後は常にガタガタになって、そのつけを結局のところお金があまりにない人に押し付けているだけのことを繰り返している。そういった庶民の暮らしは、いわば目眩ましによって惑わされ続けているだけのことであって、実質的にはそれを搾取し続けているお金持ちにはあまり影響を及ぼすことがない。すなわち現代の資本主義がましなシステムだと騙し続けられることで、庶民から少しずつむしり取ったお金で回しているだけのことなんだ。身も蓋もないことを言えば、そういうおためごかしでかろうじて維持しているとも言える。

茶番

人生という茶番はそうやって、今どこの役割を演じているかによって景色が大きく異なるわけだ。そしてそれぞれのポジショントークを繰り広げることで、こっちの水が甘いぞと言い続けているだけのことだ。おそらく勤勉であれと教えられ、それに忠実な人は仕事や会社での役割が人生ののほとんどを締めているだろうし、そうでない人は、違う価値を見出しているだろう。そしてそのチキンレースから脱した人は、それぞれの立場で人と協業することの苦難と慈悲を語るだろう。それらはすべてにおいて、真実だと思いこんでいるだけのことであり、すべては正解でもあり間違いでもあるわけだ。そこから見える景色が視点の位置と高さによって違っているだけで、同じ大きな一つの何かを見ているだけだ。けれども面白いことにそれぞれの見え方が全く違うことによって、それぞれは個々に異質であると思いこんでいるだけのことだね。人の世界の全貌なんてそれぐらいのものでしかないんだよ。