失敗は挑戦の証
成功への道
ずっとうまくいくことを夢見ていたことは、ある日突然実現したりする。そう、思ってもいない瞬間にそれは必ず訪れるわけだ。そのときあなたは一瞬狐に包まれた感覚となり、それはたまたまのまぐれなのか、それともなし得たのかを疑うことになる場合が多いのはそのせいだね。イメージでは徐々に上手になっていくとか、段階を踏んで到達するような感覚だったけれども、いつもそれは軽く裏切られることになる。あれ、もしかして今できたんじゃない、なんていう突然の訪れと、その予兆も予告もない瞬間に戸惑うばかりだろう。でもそれができたのは、これまでの努力のおかげであり、試行錯誤した結果だということは実感できている。すなわち、あなたは何と戦ってきたかというと、どうせ無理、絶対不可能という思い込みを解き放つためのものばかりだったということだ。それぐらいあなたの固定観念は強固であり、それを打ち砕くためにはさまざま失敗と少なくない時間を要するということでもある。
屈辱
だからそもそも失敗やそれによる批判や非難を恐れていると、あなたが望む地点には到達しないわけだ。あなたが目も当てられないことをしている誰かを見た時、それに対するイライラだったり憤りだったりする主犯は、まさにあなたもそれをしてそう見られたというトラウマからくるものばかりだね。例えばこどもに早くしなさい、と叱るのもぐずぐずしていたら怒られたりけなされたという経験だ。だらしない人を見て、なんて人だと瞬間的に忌み嫌うのも、あなたがそれをしたときに、バカにされた経験からくるものだ。すなわち、あなたのこうしたいという理想や願いは、実のところあなたがこれまで受けてきた経験が強固に絡み合った結果だとも言える。あるべき姿なんて永遠の真理のように受け取ってしまって、それ以外を受け入れがたく思っているのは、単なるあなたがこれまでに受けてきた非難の塊の結果だということ。であれば、その先へと進むために必要なことは、その固定観念をどうやって打ち砕いていくかという一点になるわけだ。
失敗のすすめ
それを打破するには、とにかく失敗を恐れずに、後先をあまり顧みずにやってみることが唯一の方策となるわけだ。過去のあなたの経験を超えるためには、その思い込みを書き換えないと前には進めないのだからね。あのときこれをしてえらく批判されて傷ついたというトラウマを乗り越えるためには、もう一度その恐怖に向かい合う必要がある。もちろん無理は良くないけれども、どうせ失敗するだろうと気軽に考えて、えいやとやってみる回数が実は書き換わるチャンスを大きくするわけだ。打席に立たないとヒットは打てないのと同じで、どうせ打席に立ったところで、また三振になるだろうとそもそも何もしなければそのままとなる。今度こそは打てるかもとか、だったらこうしてみようとか、なんでも良いのでチャンスを掴むか、チャレンジをやめないか、が全てであるわけだ。やってみたところで、やっぱりな、とか、そらみたことか、となることも多いだろうけれども、その強固な心理的ブロックを破壊するには、今のところそれしか方法はないね。
