生き抜く力

日々

予測可能

現代社会において、特に都市部で生まれ育ってしまうと決定的な能力が低くなってしまう。それは何かというと、不確実性を受け入れて、次の手を見つける力だ。なぜそう言えるかというと、ある程度自然の変化から守られ続けているということが、おおよその予測が可能となり、その結果ベストソリューションがそれによって偏ってしまっているからだ。具体的には、幼き頃に外遊びをたくさんしてきた世代と、屋内にこもってスマホでゲームを楽しんでいる世代との一番のギャップがそれだからだ。自然の変化から守られた空間にいる時間が長いと、自分のスケジュールや計画が安定する傾向にある。ところが、外遊びは季節変動や気候に大いに振り回されるのが常だね。公園のブランコで遊ぶことを楽しみにしていて、明日もまた楽しみたいと思ったところで、残念なことに雨が降ってそれが叶わないことがままあるわけだ。ところが屋内で遊ぶことに慣れてしまうと、天候にはあまり左右されないね。雨が降って移動中は傘をささないといけないけれども、それすらも必要ないことが多いだろう。

不確実性

大自然の中で遊び回っていると、よくわからない虫に噛まれたり、泥だらけになったりする。だからある程度で切り上げて帰ったとしても、その後の後処理の時間が必ず必要になる。一方でそんなことを防ぐために屋内で過ごせば、せいぜい汗を流す程度で十分だね。もちろん家の中で騒ぎ回って思わぬ怪我をすることもあるだろう。しかし、それも親が見ていればそうなる前に注意されることになるだろう。怪我を防ぐという意味では、子どもたちだけで外遊びで冒険するときの判断とか、危険かどうかのチェックは本人たちの直感に委ねることになる。もちろん上手に回避することができることもあれば、痛い目に遭うこともあるだろう。そういう体験の中で、不確実性を受け入れていくわけだ。そのパラメータが大人になるにつれ、特にオフィスワークが中心になってしまうとどんどん薄れてしまう。そして人生まるごとなんとなく道筋が見えた気になってしまうから、同じ価値観をそこに見出して、それ以外はまるで間違いだと思いこんでしまうわけだ。

偶有性

たまたまそうなっただけのことを、まるで自らの努力と選択のせいだと勘違いしていくことの一番の弊害は、画一的なもの以外を排除してしまう行動に変わってしまうことだ。多様性とか個性とかわざわざ声高に叫ばれるのも、実はパラドックスであり、それだけ一定の正解があるかのように思っているからそうなるわけだ。本来はこれだけれども、実はそれ以外があってもいいだろう的な、どちらかというとメタ認知ができるあなたという意味合いでしかなく、あなたの本音でいえばあなたはそうではないんだけれどもね、という安全地帯からの物言いとなっている。ところが当の本人はそれに気づいてはいないね。だからこそ、幼き頃に自然の一部として、そういった予測不能で、不確実性を受け止める練習があったほうが、その後のあらゆるトラブルに対しても粘り強く対処できるわけだ。どこにも正解なんてない世界をどれだけ身を持って体験しているか、それが教育の根幹であり、現代社会が失った結果、めんどくさいことはムリだとか、すぐに結果がでないことをムダだとか、癇癪を起こしてしまってすぐに諦めてしまう人が増えてしまっているわけだ。