夢中になる力

日々

夢中

なにかに夢中になることはまれにあることだ。そしてそれが勉強とか仕事なら良いことだと言われることが多いね。でもそれがギャンブルとか夜遊びだと悪いことになる。不思議なもので、同じ夢中になったりドハマリしたりしたとしても、その評価は真っ二つに分かれてしまうわけだ。さらにそれが度を超えると依存症と言われて、まるで病人認定となる。結局それらの結末としてはほどほどにしましょう、というオチとなるわけだ。一時の現象としては認められているようだけれども、いつまでもそれにこだわり続けてやり続けると良くないことに変わってしまう。ならばと中庸をとって、熱しやすく冷めやすくあれこれと手を出しては飽きてを繰り返したとしても、それも虻蜂取らずだと批判されて、選択と集中のようななにか一つに決めてやりなさいとか言われてしまう。これも病名のような飽き性という名をつけられて、やっぱり好ましくないものとして烙印を押されてしまうわけだ。

無関心

特に趣味もなく、なにか一つを極めるほどの熱中することもなく、日常を過ごす若者が増えているのはそのせいかもしれない。推し活なんて流行ってはいるけれども、それをするにはある程度の資金や時間が必要であり、それを割いてまで夢中になれないわけだ。なにか趣味をライフワークのように続けていくにせよ、現代社会ではもっと良いものがたくさんすぐに見つかって、なかなか一つには絞れずじまいでいる。やってみたいことは眼の前にたくさんあったとしても、さてそれのうちあなたの限られた人生という時間をどれに割り当てるかを思案しているうちに、あっという間に終了間近となってしまうね。そんなことよりもただ今を楽しく生き抜こうとしても、今度は刹那的な生活だとやっぱり良くは言われない。そんなふうに思われたり言われたりして嫌な思いをするぐらいなら、なにもしないでいるほうがコスパ最高となるわけだ。

浪費

だからこそ、浪費することが最高の体験となるわけだ。そんな批判を受けたり、ムダだと言われたりしている世界へ飛び込むことがあなたを大きく変えるきっかけになる。もちろん決めきれないままだし、熱中するほど好きになれるかどうかはわからない状況だけれども、たまたま目の前に現れたそうかもしれないということをやってみることが大切だね。それをやってみて初めてこれは違うとすぐに飽きたとしてもそれはそれでいい。そんなことにお金を浸かってしまって後悔したとしても、それが本来のあなたにとってのベストな使い道だったと知れるだろう。将来の不安におびえ、その保険のように蓄財したとしても、結局のところ記号的な価値を保てるのは生きているうちだけなんだからね。まるで人生ゲームの紙幣みたいなもので、それが終われば回収して箱の中にしまわれる紙切れと同じだ。結局のところ誰かの評価や目線を気にしすぎることで、くだらないことに散財してバカにされたり、ムダなことに時間を費やして批判されたりすることばっかりを気にしすぎることを忘れてしまうのが夢中になるということなんだよ。